第8章 摂津 肆
話をつける、と言っていた男がまさか八千に手を掛けたとは思わず、凪は微かに唇をわななかせた。
「主の仇討ちの為、わざわざここまで追って来たのか。見上げた忠誠心だ。俺も機会があれば見習わせてもらうとしよう」
「ぬかせ!」
怒りに声を震わせ、八千の部下と思わしき黒装束の男は懐から刀を取り出すと臆面もなく光秀へ斬りかかろうとする。しかし、その行動を読んでいたかの如く、刃を返して刃を上向きにした光秀はそのまま男の手首を弾いて短刀を叩き落とし、手の届かぬ方へと躊躇いなく蹴った。
そうして片手を押さえてうずくまる男の首裏へと柄側で鋭い一撃を叩き込み、気を失わせた後で視線を巡らせる。
やがて木陰から飛び出して来た複数の男達が一斉に斬りかかって来る様を見てとり、身を翻して凪の方へと駆けた。
「お前は隠れていろ、すぐに終わらせる」
呆然としていた凪の腕を掴み、真摯な眼差しで告げた光秀に対して頷いた様を見てとったが、その背後から放たれた矢に気付き、光秀が左腕で華奢な身体を抱き込む。
「っ…、」
「あ…ッ!」
刹那、光秀の白い着物の袖を矢がかすめ、そのまま地面へ突き刺さった。心臓が嫌な音を立てて大きく跳ね、凪の顔が歪む。その場所は、彼女が【見た】場所と同じ左二の腕であった。
まだ白い着物を染める程に血は滲んでいないが、どの程度の深さであるのかは一見しただけでは分からない。
言葉を失う凪を抱き込んだまま、再び懐から先程放った短刀を取り出した光秀が、矢が飛んできた方向へ的確にそれを投じた。
少し離れた場所から呻き声とも断末魔とも付かない声が響いたのを確認しながら、光秀は黒々とした眸を見開いている凪の頬へ片手をあてがい、視線を合わせると微かに笑う。
「お前の忠告が役に立った。後は良い子で待っていろ」
「違っ…!」
顔色一つ変えず言ってのけた光秀の声は柔らかい。頬へあてがっていた片手を離し、流れるような所作で頭をひと撫でした彼はそのまま反論を紡ごうとした凪の肩を背後へ軽く押しやった。
そうして凪が茂みの中へ尻もちをついた様を確認し、袴の裾を翻すと襲い来る男達へ向かって行く。