第8章 摂津 肆
ここ数日で凪が目にした光秀は、どう考えても自分を大事にしていないし、自らの犠牲を厭うていない。自分の事よりも他のものを優先しているようなきらいがある。
それでも、光秀自身がそうする事で自分を不幸だと思っているなどとは、凪には微塵も思えなかった。
「大体、幸せか不幸かなんて自分自身が決める事です。貴方自身が自分を不幸だって思ってる限り、ずっと不幸のままですよ。満たされないとか色々好き勝手言ってますけど、それも誰かの所為じゃなくて自分の所為。これまでで満たされるような何かを本気で向き合って、必死に探して来なかった自分が悪いんじゃないですか!…だったら、文句ばっか言ってないで今からでも探したらどうです!?」
一気に捲し立てた凪の勢いに気圧されたのか、あるいは他の理由があったのか、清秀はただ驚きに目を瞠り、そうして目の前に立ったまま怒りを露わにしている凪を見つめている。
硝子のような灰色の眸に小さな熱が灯り、ゆらゆらと音もなく静かに揺れた。ひくり、と気怠げに下ろされていた筈の指先が微熱を宿す。
肩を怒らせた状態で言い切った凪は、一度心を落ち着けようと瞼を伏せた。緊張と怒りとが綯い交ぜになっていた所為で、どくどくと早鐘を打ち続けていた鼓動が幾分規則的なリズムを取り戻して来た事を自覚したのち、そっと瞼を持ち上げようとした瞬間、ふわりと両腕に捉えられ清秀の胸に抱き込まれる。
「…っ、ちょっと!?」
清秀の腕に包まれたと同時、困惑と苛立ちの混じった抗議の声が凪の口から発せられたが、男は意に介した様子はない。
硬い胸板に頬を当てるような体勢のまま、目を白黒させている中、ふと鼻腔を上品で落ち着いた香りがくすぐり、凪は静かに息を呑む。
大人な雰囲気を漂わせる、しかし突き放すような冷たさを感じる寂しげなそれは侍従の香だろうか。光秀のまとう落ち着いた上品なそれとは異なる香りに包まれている事が落ち着かず、腕の中で身を捩ると、上からやんわりとした咎めの声が降った。
「こら、暴れたら折角の髪が乱れてしまうよ。……ああほら、少し崩れてしまった。大人しくしていて」