第8章 摂津 肆
光秀は【芙蓉】に興味がなく、いつでも切り捨てられる存在。
それを示した男の前では、明確に清秀の言葉を否定する他ない。そもそも相手が気に入っているかどうかなど、本人でなければ分からないのだから。
果たして凪の話を鵜呑みにしているのか、あるいは単に流される振りをしてあげているだけなのか。清秀は緩やかな足取りで距離を詰め、少し離れていた凪の正面へ立つと、おもむろに片手を持ち上げた。
白く長い指先が、長く走り回った事で乱れた彼女の黒髪を優しく梳く。
「……さてね。光秀殿と私は少し似ていると常々思っていた。手に入れた側の人間はその反面、何かを手放している。私も、光秀殿も…いっそ手に入れない方が幸せを感じる事が出来るのかもしれないと、そう思ってね」
するりと指先が漆黒の艷やかな毛先を滑った。横髪を辿った指先がそのまま輪郭をなぞり、顎へ辿り着く。長い指先がかけられ、顎を僅かに持ち上げられた凪はしかし、微動だにする事はなかった。
「……今日は随分素直だな、嬉しい反面少し残念だ」
口では凪を求めるような素振りを見せて、彼女が従順な様を垣間見せると、途端につまらなさそうな表情になる。酷く身勝手で、酷く傲慢で、酷く───哀れだと思った。
それまで真っ直ぐに清秀を見つめていた凪は、一度瞼を閉ざして小さく吐息を零し、再びそれを覗かせる。
凛とした眼差しは真っ直ぐに正面に居る男へと注がれ、怖気づく事のない表情は、初めて彼女と会った夜、月光に照らし出された淡い光の下で目にした気丈な姿と同じだった。
「そうですね、私も凄く残念です」
ぱしん、と乾いた音を立てて顎にかけられていた清秀の手が凪の手の甲に寄って弾かれる。
抵抗なく弾かれた腕を緩慢に下ろした清秀が、不思議そうな面持ちで目を瞬かせた。
「貴方とは何を話しても意見が合いそうには思えません。……仮に光秀さんが何かの代わりに何かを手放していたとしても、それを不幸だと思ってるかなんて分からないし、手に入れない方が幸せだ、とかそんな事思ってるなんて貴方に分かる訳ないじゃないですか」
苛立ちを含んだ声が男の鼓膜をしたたかに打ち付ける。