第8章 摂津 肆
腕の中に収まっている事を拒絶するよう身を捩った凪に対し、わざとらしい溜息を漏らした清秀は存外言葉の割にあっさりと彼女の身体を解放した。
的を得ない返答を耳にして眉根を寄せると、訝しみを深めた彼女の黒々とした眸が男を真っ直ぐに射抜き、それを真正面から受け止めながら、清秀は刀を腰へ差し直す。
「私はいつも退屈していて、人生において満たされたと思えた瞬間がない。主君を裏切っても、敵へ寝返ってみても、美しい女を抱いていても…どうしてか、心の穴が埋まらないんだ」
「……満たされようとする手段がロクでもないですね」
「歯に衣着せぬ物言いがいいね、君は。そういう女性とは、出会った事がなかったから、ただ君が新鮮に見えるのかな」
淡々と告げる男と正面から対峙しながら、訝しみよりも呆れの色を含ませた凪は真っ直ぐに清秀の灰色の眼を見つめていた。媚態を一切見せない強気な態度と眼差しはいっそ清秀には心地よく、とても愉快である。
ある程度の地位を手に入れ、実力を発揮する事さえ出来ればそれが評価に変わり、自然と信頼が寄せられて行く。幸い、清秀は戦の才気にも恵まれており、彼自身の将としての実力も申し分なかった。
一度読めば兵法書も容易に理解が出来、言葉を巧みに使えば人の繋がりを得る事が出来る。端正な容姿と物腰の柔らかさ、そこに見え隠れする危険な色香に女は夢中になり、悦楽を与えてくれた。
だが、それ等を持ってしても男の退屈は満たされる事は無い。
望んだものが全て容易に手に入ってしまうから。
「…きっと光秀殿も君のそういう飾り気のなさを気に入っているのかもしれないね」
「なんでそこで急に光秀さんが出て来るんですか」
「おや、君は彼を好いているんだろう?単に比較対象にしただけの事だよ」
(そうだった!この人の前では光秀さんの事、命を賭けて守る系女子だった…!)
色んな事が一度に起きすぎた所為で、うっかり【芙蓉】としての設定を忘れかけていた凪が内心で突っ込みを入れているのを清秀は面白そうに見やり、口元へ刻んだ笑みを深めた。
「み、光秀さんは私の事なんて全然気に入ってなんかいません。眼中にもないですから」
「そうかい?私にはそうは見えなかったけれど。だって、納得してしまったんだ」
「…何を納得したんですか」