第8章 摂津 肆
そんな中、背後から迫った八千の伸ばされた腕が彼女の打ち掛けへと触れようとした刹那、前方へ転びそうになった凪の身体を正面から優しく抱きとめた男の片腕が、宥めるように背へ添えられる。
「うぐッ!?」
それと同時、短く呻く声と鋭い打撃音が響き、何かが地に伏す鈍い音を鼓膜が拾い上げた。
頼る術のない、佐助以外にはまともな知人も居ない乱世で、こうして抱きとめ助けてくれる人など一人しか凪は知らない。
「光秀さ……っ、げ!?」
身体を包み込む安心感に男の名を口にしようと顔を上げた瞬間、目の当たりにしたそれについ凪の表情が凍った。
「まさか女性を抱き留めて、そんな反応をされるとは思わなかったな。相変わらず君は私の興味をくすぐってくれるね、姫」
(変態亡霊!?)
愉しそうに喉奥から笑いを零した男は、特に気分を害された様子もなくやんわりと首を傾げてみせる。凪を抱き留めて助けてくれた男、それは先日森の中で会った有崎城の亡霊───中川清秀であった。
八千と清秀に実質挟み撃ちにされた形となった凪は、男の腕の中で身じろぎしつつ顔を顰める。万事休す、もはやここまで、などと思いながら背後を振り返ったと同時、彼女は黒々とした眼を見開いた。
「……え、どうして」
無意識の内に零れた呟きは呆然とした色を帯びている。振り返った先、凪の視界へ映り込んだのは、地面へ仰向けに倒れ込み、意識を失っているらしい八千の姿だった。
驚きを露わにしている様子の彼女の視線を辿り、清秀はああ、と至極つまらなさそうに口を開く。
「無粋な手が君に触れようとしたのが許せなくて、少しの間気を失ってもらったんだ」
そう言うと清秀は凪の背に回した腕とは反対の手に持っていた刀を軽く上げて見せた。鞘へ収められたままのそれを逆手に持つ形でいた為、恐らく柄側で額を鋭く突いたのだろう、振り返った時に見た八千の額が赤く腫れていたのを目にしていた凪は怪訝な色を面持ちへ乗せる。
「なんで私を助けたんですか?っていうか、離してください…!」
「つれないなあ、私の姫は。……君を助けたのは、君が私を満たしてくれるかもしれないからだよ」
「…はあ?」