第8章 摂津 肆
血を吐くような勢いで告げる八千の姿を前に、凪は言葉を失った。復讐し、復讐されるその連鎖は新たなる火種や争いを生み出し、いつまで経っても終わりなどやって来ない。
それは仏を信仰する、彼らこそもっともよく分かっている筈だというのに。
(じゃあもしかして、あの夜に本能寺で信長様を襲ったのも…?)
断定は出来ないが、可能性はある。
不意に彼女の脳裏に、数日前の映像が過ぎった。
無我夢中で信長の手を引いて炎の中を走り抜けた際、聞こえた微かな金属音は…────。
思い当たったかの如く凪の視線がかしづく八千の横へ置かれた錫杖へ向けられる。ぞくりと背筋を這い上がる恐怖に、震え始めた拳をもう片方の手で覆うように隠し、片足をそっと後方へ引いた。
「そんなの、駄目ですよ。だって、いつまで経っても終わらない…。そんな事するより、ちゃんと前を向いて自分のこれからと向き合った方がずっと良い筈なのに…!」
「……清らかな御身には分かりますまい。地獄の業火に焼かれるよりもむごい、あの光景を目にして尚、奴を赦す事など…!」
当時を思い出しているのだろう、怒りに迸る血走った眼を凪が向けられた瞬間、彼女は弾かれたように身を翻して走り出す。
「お待ちくだされ!ここまでお耳に入れてしまったのならば、もはや御身を逃す事など出来ませぬ…!」
(そんな事言ったって!!)
怒りと焦燥に燃える八千が背後に迫る中、凪は必死に森の中を駆け抜けるも、蔵まではまだ距離がある。耳朶の裏側へ鼓動が移動してしまったかのように、鼓膜のすぐ近くで脈打ち続けているような感覚に陥りながら、彼女は乱れる息に構う事なく足を動かし続けた。
(怖い!無理!!)
鬼のような形相で迫り来る男の歩幅と、小袖姿で歩幅が狭まっている凪とでは圧倒的な速度の差がある。いっそ着物の裾をたくし上げてしまおうかと思ったその拍子。
「いッ…!!」
ずきりと両足に鋭い痛みを覚え、思わず短い声が出た凪の足元がふらつき、体勢が崩れる。
傾いていく身体と、視界へ広がる地面へやけにゆっくりと近付いていくような感覚に、思わず両目を硬く閉ざした。