第8章 摂津 肆
身を守る為とは言え、こうして無関係な町人達を巻き込んでいるのは他ならぬ凪自身である。そう自覚してしまえば、これ以上彼女の中に、城下町を逃げ回るといった選択肢は存在しない。
「芙蓉様、何処におられるか!芙蓉様───!!」
少し離れた場所から聞こえる荒々しい八千の声。
それを背に聞きながら、凪は再び駆け出した。路地裏を抜け、幾つかの角を曲がれば次第に町中から遠ざかって行き、先日光秀と共に牢人達を尾行した森へと抜け出る。
「…うわ、火薬の臭いがここまで来てる。もしかして移動させた?」
袖で鼻先を覆い、眉根を寄せた凪がここ数日で散々嗅いだ嫌な臭い───蔵に収められているという火薬の臭いを色濃く感じ、怪訝に呟いた。
先日森へ入った時にも確かに臭いはあったとは言え、入り口付近まで濃く漂ってはいなかったような気がする。蔵の中身を教えたという事は、そうしても問題ないと判断したからなのだろう。そうなると、既に蔵には存在していないかもしれない。
木の陰に身をひそめて幹へ背を預け、息を吐いて乱れた呼吸を整えた凪は、ずきりと不意に痛んだ足元へ視線を向けた。
草履の鼻緒が擦れ、両足の親指と人差し指の間でじくじくと鈍い痛みを伝えて来ている事に今更ながら気付き、唇を堪えるように引き結ぶ。
ここまで必死に駆けて来た所為でまったく意識していなかったが、慣れない履物であれだけ走り続ければ傷んで当然というものだ。白足袋を見る限り、まだ血は滲んでいないようなので、完全に擦れてはいないのだろう。心を落ち着けるようにして瞼を伏せ、再度呼吸を整えた後で凪は再び走り出した。
(木に隠れながら、蔵まで辿り着けばなんとかなる…!九兵衛さん達も城へ行ったって言ってたし、せめてそこまでは…!)
自らを必死に奮い立たせ、痛む足へ極力意識を向けないようにしながら踏み出したと同時、背後から彼女の細い手首を掴む大きな手のひらによってその動きは封じられる。
「────…っ!?」
「ようやく見つけましたぞ、芙蓉様!」
血走った眼で息を荒くした男───八千は、会談の夜に会った時よりもどこか獣じみていて理性が感じられない。
男も相当走ったのだろう、流れる汗をそのままに汗ばんだ手のひらがぐっと凪の手首を更に強く拘束した。