第3章 出立
「…っ、分かりました!乗ります、どの道行かなくていいって選択肢はないんでしょうし」
ここまで来たら腹を括るしかない。半ばやけくそになりながら、差し出された光秀の手を取った。
刀のみならず、史実の中でも名手と謳われた銃器を扱う男の手は指が長くしなやかだが反面、節立って力強い。掌の皮が厚く、すっぽりと凪の手を包んでしまえる程に大きなそれは存外、握り締められると低い温度をしていた。
(わっ…!?)
馬上から誰かに引き上げられて騎乗するのは随分と久し振りで──ちなみに政宗の時は抱き上げられて強制的に乗せられた───ふわりとした浮遊感と同時に下鞍へ片足を乗せれば、いつの間に手網から手を離したのか、さり気なく腰に回った反対の腕が凪の身体を支え、そのまま光秀の前へと座らされる。
光秀の傍に寄ったと同時、ふわりと風に乗って落ち着いた男性にしては上品な香りが鼻腔をくすぐった。
(これは光秀さんの香の匂い…?黒方か何かかな)
決して不快ではない、寧ろ心地よいそれに気を取られるも、すぐに意識を切り替える。
袴を穿いているお陰で横乗りではなく、しっかりと馬を跨ぐ形で騎乗出来るのは幸いだ。横乗りでは遠乗りするのにバランスを取るのが疲れてしまうし、なにより不安定になる為、背後に乗る光秀の身体に自らの身を寄せなくてはならない。
「ありがとうございます。手網離しても暴れないなんて、良い子ですね、この子」
騎乗を手伝ってもらった事に礼を言いつつ、葦毛の馬の柔らかな鬣を優しく撫でた。
ふと、鬣を撫でる手とは反対のそれへ視線を落とせば、最初に差し出されて掴んだ片手がそのままになっている事に気付く。男の大きな掌に包まれたそれを無理矢理払うのは流石に失礼かと思い、背後の光秀をそっと振り返った。
「…あの?」
戸惑いを含む短い音に、包んでいた小さく華奢な手を解放した光秀は、一度離した手網を手繰り、凪の身体を背後から包み込むような態勢で静かに馬の腹を蹴る。
「この馬は元々気性も穏やかだからな。野に放っても自分であるべき場所へ戻って来る。…さて、目的地まで暫し道行きを楽しむとするか」