第3章 出立
「あの男、馬の扱いは上手いが捌きは荒いからな。乗り慣れていない奴が同乗すれば相当の体力を消耗する」
確かにあの夜の強行軍はなかなかのものだった。
揺れる馬上でもう少し静かに走らせてくれと何度言おうと思った事か。素人が乗っていたなら、足腰がガタガタになって全身筋肉痛は免れられないだろう。
(実家が乗馬クラブ経営してたからって言っても、絶対通じないだろうし…でもこの時代、女の人で馬乗れるってそんなに珍しい?現代程ではないような気がするけど…)
凪の実家は家族経営型のこじんまりとした乗馬クラブだ。
曽祖父の代から続いているそれは、近隣の人々や昔馴染みの客が多く、小さいながらも賑やかで良いクラブだったと思う。
幼い頃から半ば強制的に仕事───主に馬の世話を手伝わされていた凪が馬に慣れているのは必然で、調教師とまではいかずとも、自然と普通に早駆け出来る程度の技量は持っていた。
「そんなに珍しいことでもないでしょう?…ていうか、馬乗れるって知ってるなら、もう1頭用意してくれてもいいじゃないですか。何で1頭だけなんです?」
馬に取り付けられている馬具の確認をしていた光秀が、不服さを滲ませた凪へ顔だけで振り返る。薄ら口元へ浮かべた笑みには、さも当然だといった色が含まれていた。
「お前を一人で乗せ、この期に乗じてどこかへ飛んでいかれでもしたら困るだろう?信長様から、無事返して寄越すという条件でお前を借り受けたんだ。不測の事態が起こらぬよう、予め懸念は取り去るに越した事はない」
「…つまり、道中ずっと光秀さんと一緒の馬に乗るって事ですか」
「まあそういう事だ。宜しく頼むぞ、小娘」
(うわあ…………)
逃走手段など端から与える気はないと、清々しい程はっきり言われてしまえば、もはや反論する気すら失せるというものだ。
内心顰めた顔がよもや表にまで出ているとも気付かず、心の中で凪が悲嘆な声を上げる。
そうこうしている間にも手際良く馬の準備などを終えた光秀は、そのままひらりと優雅に騎乗した。手網を左手で軽く握り、少し馬から距離を取ったままの凪へ自然に差し出した右手が、早く乗れと無言の内に促している。
「今日予定している宿まではそれなりに距離がある。俺と二人きりで野宿したくなければ、早く乗ることだ」