第8章 摂津 肆
程なくして静まり返っていた城内には、牢屋から解放された家臣達や女中らの声が響き、本来の姿を取り戻し始める。
ここに至るまでの道中、縄をかけて捕らえた牢人達の処遇を池田へ一任した光秀は、伝令役の一人として残ったのだろう、蔵の件を報告して来た家臣を振り返り、面持ちへ厳しい色を浮かべた。
「今一度蔵内を改める。お前は池田殿の補佐を」
「かしこまりました」
手短に用件を告げ、池田へ一礼してみせた光秀は袴の裾を翻して御殿を後にする。長い廊下を歩みながら、ふと視線を空へと投げれば先程見上げた時よりも日が僅かに中天へと動いている事を確認し、意識を正面へ向き直した。
凪を迎えに行くと告げた九つまでには、恐らくあと半刻もない。
涼やかな目元を眇めた光秀は、腰に下げた刀の柄へ片手を添え直し、元々足早な歩みを更に早めたのだった。
─────────…
時は少し遡り、光秀が有崎城内を駆け回っていた頃と同時刻。
九つに迎えに来ると告げて早朝から出掛けていった光秀を今度こそ大人しく待とうと決めていた凪は、いつでも旅立てるように準備をしつつ、縁側へ腰掛けていた。
光秀が立ち去ったすぐ後で庭先から姿を見せたのは先日から見掛けていなかった九兵衛であり、彼は凪に一人の護衛を紹介した後、自分達は光秀について有崎城へ向かうと告げ、丁寧に一礼した後、その場を去って行ったのだった。
(有崎城に向かったって事は、あの亡霊さんを捕らえに行ったんだろうな。…あの人、蔵の中に物騒なもの貯め込んでるって言ってたし…)
光秀から直接行き先は聞けなかったが、九兵衛が教えてくれた事で色々と合点がいった凪は、ここ数日で起こった様々な出来事を改めて振り返る。
本能寺の変の夜、突如タイムスリップして来て信長に気に入られ、験担ぎとして城に置いてやると言われた翌日には光秀と共に馬上に居たのだから、まったく人生とは何が起こるか分からない。山城国での一泊と、摂津での三泊も何だかんだと怒涛のように日々が過ぎていったような気がする。
よもやただの現代人、しかも何の取り柄もない一般人(と凪自身は思っている)である自分が、かの明智光秀と共に陰謀を調査する手伝いをする事になるなど、当然思いも寄らなかった。