第8章 摂津 肆
光秀の言葉を受けて涙ぐんだ池田は、再び深く項垂れると肩を微かに震わせる。添えていた片手を離した光秀がそのまま思案に耽ろうとしたと同時、更に駆け込んで来た足音が複数、御殿内へと足を踏み入れ、入り口でかしずいた。
「ご報告申し上げます。城裏の蔵を改めましたところ、鍵は既に開け放たれており、中はもぬけの殻となっておりました…!」
「……ほう?」
それは城門で二手に分かれていた部隊の一人であり、彼らは元々下されていた命により、城の裏にある森の中へそびえ立っていた、先日光秀と凪が見つけた蔵へ向かっていたのである。
清秀の言う南蛮筒とそれ用の火薬とやらは、既に運び出された後だという事実を耳にし、光秀の眼差しが鋭さを帯びた。
「く、蔵…?一体何の…」
「池田殿、どうかお気になさらず。空ならば丁度良い。武器でも兵糧でも、お好きなものを貯蔵し活用されよ」
「はあ…?」
牢内に居た池田は蔵の存在を当然知る由もない。用途の失われた蔵など好きなように使ってしまえと言ってのけた光秀へ不思議そうな面持ちを浮かべながらも男が頷く。
「九兵衛」
「はっ、何なりと」
静かに九兵衛を呼んだ光秀に応え、部下が膝を付いたまま頭を僅かに下げた。
「早馬を駆る伝令役を二名残し、それ以外を連れて隣国の廃城へ向かえ。場所は…───」
「ご安心ください、先日貴方様が保護を命じられた民の一人が、是非御役に立ちたいと道案内を自ら申し出てくれております」
摂津へ訪れた当初、百鬼夜行の噂の元となった農民達の内の一人が、運ばせられていた荷の向かう先について情報を提供してくれていたが、光秀はその農村の民達を家族なども含め、坂本城の兵達に保護させている。
それに深い恩を感じていた者の一人が、例の廃城まで案内をさせて欲しいと伝えて来ていたのだった。
九兵衛の何処か誇らしげな物言いを耳にし、光秀はそれまで浮かべていた厳しい表情を僅かに緩め、口元に柔らかな笑みを乗せる。
「…それは僥倖。ではその者を伴い、隣国へ向かえ。ただし深い追いはするな。荷の流れを確認するだけで良い」
「御意に」
既に光秀の命がなくても心得ているとばかりに九兵衛は僅かに口元を綻ばせ、短く答えると静かに立ち上がり、家臣を数名集めた後でその場を立ち去って行った。