第8章 摂津 肆
「お前達のような牢人に顔を知られていないとは、俺の悪名もまだまだ周辺国には轟き足りないという事か」
「……光秀様」
胸の前で腕を悠然と組み、わざとらしく肩を竦めて見せた光秀の言いようを耳にし、九兵衛が仕方ない人だと言わんばかりに溜息をそっと漏らす。聞きようによっては完全に悪役のそれである。
「お前達、城門を明け渡すのなら命まで取りはしない。どの道、抗ったところで増援などやっては来ないだろう。お前達の雇い主は既に───…ここには居ないだろうからな」
「なんだと!?」
驚きを露わにした男達の間で動揺が広がって行く。
しかし、光秀相手に切っ先を向けていた男が煽るような物言いに怒り、歯噛みして握り締めた長槍で間合いを詰めた。
「てめえ、馬鹿にしやがって…!」
真正面から突っ込んで来た男が持つ槍の切っ先が光秀の腹部を狙って横に一閃される。男の踏み込みに合わせて組んでいた腕を即座に解いた光秀が左手で鯉口を切り、柄を右手で握り込んだと同時、金属の擦れる短い音と共に抜刀した。
鞘から抜き放つ刃の勢いを殺す事なく、薙いだ槍を鋭く弾いた光秀は、反動に煽られて後方へ体勢を崩した男に向かって地を蹴り、一足(いっそく)で懐へ入り込むと刀の柄側を相手の鳩尾へ鋭く叩き入れる。
「ぐッ!!」
低く短い呻きを漏らし、たった一撃で地に伏せた男の手から力なく長槍が取り落とされ、からん、と乾いた音を立てながら転がって行った。
手首を返してひゅん、と空を切る音を立てながら一度刃を振った光秀は、抜身の刀を真っ直ぐに残った男達へ突き付け、やがて整った面(おもて)へ微笑を乗せる。そこに浮かんでいたのは、確信を得たような笑みだった。
「……さて、もう一度言っておこうか。城門を明け渡せ。そこの男のように、地に転がりたくなければな」
その後、光秀一人の勢いに気圧された男達は次々と降伏し、家臣達によって縄を掛けられていく。
そうして完全に無防備となった城門から有崎城へ入り込んだ光秀は、要所要所で襲い来る身なりの粗末な、しかし腰には池田の掲げる家紋が刻まれた太刀を引っさげた男達を次々に返り討ちにして縄を掛けていき、城の中を駆けていた。