第7章 摂津 参
言葉の圧は確かにそこに存在している筈なのに、凪は何故かそれを恐ろしいと感じる事が出来ない。
唇の端で動きを止めた光秀の冷たい指先はひくりとも先へ進む気配はなく、凪はいつもなら文句を言う口を一度引き結んだ後、目の前に居る男が何事かを音として発する前に、自らの人差し指を光秀の唇へと近付けた。
「…っ」
「話します。そういう約束、でしたからね」
唇の前へと添えられ、吐息が掠める距離感にある白く細い指先が、光秀にそれ以上の質問を重ねさせる事を封じる。
微かに息を呑んだ光秀が目を瞠ったと同時、凪が静かに音を紡いだ。
「元々、言わなきゃって覚悟はしてたんです。…でもいざとなったら少し怖気づいてしまって。この事を誰かに話すのは生まれて初めてだから」
努めて明るい調子で告げた凪が肩を緩く竦める。
口元へ添えていた人差し指を緩慢に下ろせば、彼女の口端へ触れていた光秀の指先も自然と離れていった。
(私がちゃんと言わないから、光秀さんはこういう方法を選んだんだ。【見た】事を言った以上、伝えなきゃ)
「………そうか」
光秀は短くそれだけを告げて、口を閉ざす。
心の内で惑いを捨て去った凪は、果たして何処から話すべきかと思考を巡らせ、なんとか相手へ伝わるように言葉を選びつつ語り始めた。
「きっかけは分かりませんけど、物心付く頃くらいから時々妙なものが見えるんです」
「…妙なもの?」
真剣な面持ちのまま凪の話へ耳を傾け始めた光秀が、彼女の語りにある単語を拾い上げて僅かに眉根を寄せる。
「昔はあまり気にしてなかったんですけど、動悸がして目の辺りが熱くなるのがその合図みたいなもので。そうなると突然、目の前にないものが見えて来るんです。最初は白昼夢みたいなものかなって思ってたんですけど…ある時それが、少し先に現実として実際に起きる出来事なんだって気付いたんです」
静かに紡がれる凪の言葉に、光秀は驚いた様子で微かに目を瞠った。それと同時に、川辺での出来事と先刻路地裏で告げられた彼女の言葉を思い起こす。
特に川辺での凪の怯えようは尋常ではなかった。
告げられた言葉から推察するに、凪はこれから現実となるだろう出来事───光秀が傷を負う姿を【見た】のだろう。