第7章 摂津 参
一瞬息を呑んでしまいそうな程に低く硬い声色で問われるも、すぐに凪はそれを否定した。そして自身の唇へと軽く触れた光秀の腕をぐい、と追いやればあっさりと抵抗なく彼の腕は身体ごと離れて行く。
「さて、そんなとことは一体何処を指しているのやら。…可愛いお前を心から案じた俺に、褒美の一つくらいくれてもいいとは思わないか?【芙蓉】」
金色の眼が、不意に揶揄の色を帯びて眇められた。
口元へ刻まれた緩やかな弧を前に、明らかに遊ばれている事を自覚した凪が顔をぐっと顰める。
「なっ、都合の良い時だけそう言うのやめてくれます!?」
「やれやれ、つれない事だ」
まったくそんな事など思ってもいないだろう光秀が肩を竦め、そうして凪の手を取り、おもむろに歩き出した。
一瞬、なにかを警戒するよう辺りへ油断ない視線を走らせた光秀はしかし、凪が隣に並ぶと同時にその色をすぐさま消し去る。
そっと横へやった視線の先で、手を繋がれたまま物言いたげな表情を隠しもせず、眉根を寄せている凪を映し、謝る時に見せていた気落ちした表情よりも、いっそこうして文句を言っている表情の方がいい、などと考えた思考を振り払い、二人は今度こそ宿への帰路を辿って行った。
─────────…
宿へ二人が到着したのは、路地裏を立ち去ってから四半刻も経たない内であった。
襖を開けて凪を室内へと先に入れた光秀は、自身もそこへ足を踏み入れると後ろ手にそれを閉ざす。
ぱたりと微かな音が広い空間に響くと同時、凪の肩が何かを察して小さく跳ねた。
障子を両方共開き切っていた状態である為、風の通りも良かったのか室内は思いの外涼やかである。
少しずつ夕刻に近付くにつれて気温も落ち着いて来ているらしく、日中は若干の蒸し暑さすら感じていたその場所も過ごしやすい空間となっていた。
部屋の中程まで足を進めていた凪はその途中で歩みを止めると、背後を振り返らないままで意識だけを入り口へ向ける。
足音が自分のものだけしかしていなかった事がやけに違和感を湧き立たせ、首だけを背後へ巡らせたと同時、元々過ごしやすい温度になっていた室温が、幾分か下がったような錯覚に陥って凪の顔が強張りを見せる。
「さて」