第7章 摂津 参
息を呑み、事態を遠巻きに見ていた町人達が張り詰めた緊張感から解放された事に安堵する中、凪は一人光秀の背を見つめ、追い払われた男達とは違う意味で冷や汗をかく。
(…背中から、ひしひしと怒気が伝わって来る!)
当然だ。凪は光秀の言い付けを破ってしまったのだから。
彼女にとってはまっとうな優先すべき理由であったのだから後悔はないが、恐ろしいものは恐ろしい。
「あ、の…」
「宿へ戻るぞ」
凪がかけたぎこちない声を遮るよう、ぴしゃりと告げた低い声が鼓膜と背筋を震わせる。
(こ、怖っ…)
ふるりと無意識で身を震わせた凪を知ってか知らずか、恐らくは前者であろうが、光秀は振り返ると彼女の手を握り、踵を返す形で宿への帰路を辿り始めた。
歩みは決して荒々しくもなく、あくまで凪の歩幅に合わせたものであったが、おずおずと窺った端正な横顔は無表情である。真っ直ぐに前を見据えている金色の眼が自分を振り返る事がないと見て取った凪は、居心地の悪さに視線を地面へ投げた。
正直に言えば、本題を切り出し難い雰囲気だったが、そんな事は言っていられない。言い訳じみたものではあるが、少なくとも、ただ理由もなく言い付けを破ったわけではないのだと光秀に伝えたかった。
「待って、話を聞いてください…っ」
往来を歩きながら凪が必死に声をかける。
繋いだ手をそのままに、ぐい、と自分からも指先に力を込めて光秀の手を握った凪は彼の意識をこちらへ向けさせようとした。
「お願いだから…!」
必死に言い募った凪の声が光秀の鼓膜を打つ。
眉根を僅かに動かした光秀が、やがて長い睫毛の影を肌へ落とした後、気付かれぬようそっと吐息を漏らした。
「…来い」
やがて凪へ視線を合わせた後、短く告げた光秀は彼女をいざなうようにしてするりと路地裏へと入り込む。
人目に付かないよう、奥まった場所まで歩みを進めた後、日中であるにも関わらず薄暗さの満ちたその場所でそっと繋いでいた手を解放すれば、凪を壁際へ背を預けさせ、目の前で緩やかに腕を組んだ。