第7章 摂津 参
大きく見開かれた黒の眸、その視界に映ったのは、硬い表情筋を動かす事はないものの、眼鏡の向こうで僅かに眼を見開いていた凪にとって唯一の現代人仲間───猿飛佐助その人であった。
思いも寄らぬ人物との再会に驚いていると、それは相手も同じであったのか、人通りの邪魔にならないよう凪に合わせて道端に寄る。
「驚いたな、まさかこんなところで凪さんに会うなんて。それにその格好…」
「あ、これには色々と複雑な事情があって…!」
心底驚いたらしい佐助の、しかし起伏の少ない声がいっそ懐かしい。数日前に安土城へ侵入して来た際、顔を合わせているが、それがもう遠い昔の事のように思えてしまうから不思議だ。
凪の小袖に打ち掛け、そして化粧姿を初めて目にした彼が一体何事かと視線を向けて来た事に対し、さすがに色々と説明している時間の無かった凪が慌てた様子で取り繕った。
現役忍者だけあって観察眼や察しも鋭いのだろう佐助は、凪がみなまで言わずとも何事かがあったと勘付いたらしく、深くは追及して来ない。
「…そうか、君も大変だな。でも凄く似合ってる」
「ありがとう。……あ、ところで佐助くん、あの…」
「佐助」
素直に格好を褒められるのは、やはり女性としては嬉しい。
飾り気のない真っ直ぐな賛辞に口元を綻ばせた後、光秀について外見の特徴だけを挙げて見掛けていないか問おうと口を開きかけたと同時、彼の背後から低く気怠げな声が名を呼び、遮った。
「…!謙信様」
(…謙信って、あの本能寺の夜に山の中に居た…?)
ぴくりと反応して背後へ振り返った佐助の後方から、黒い外套を揺らして緩やかな足取りのまま近付いて来る男の姿を見やり、凪は初めて戦国時代へ訪れた時の記憶を引っ張り出す。
男の名には聞き覚えがあった。信長の前から咄嗟に逃げた後、山の中で姿を見掛けた事、佐助がその名を呼んでいた事などを思い出し、敬称を付けて呼ぶ姿に一つの可能性が確信的に浮かぶ。
(多分佐助くんはこの謙信って人に仕えていて、その人はきっと…信長様の敵なんだ)
───…信長は、生き伸びたのだな。悪運の強い男だ。
そう言っていた事を思い出し、凪は無意識に一歩足を引いた。