第7章 摂津 参
愛想の良さは恐らく商売人ならではなのだろう。人好きのする笑顔のままで問いかけて来た男へおもむろに頷いた凪は、ひとまず駄目元で問いかけて見る事にする。
「あの、みつ……じゃなかった」
「蜜?甘味処でもお探しで?」
思わず癖で光秀の名を呼びかけた凪であったが、小間物屋の男は明智光秀が謀反を企んでいると教えてくれた張本人であった。そんな人物に、光秀の名をそのまま問いかけるなど出来る筈もなく、すんでのところで言葉を飲み込む。
中途半端に区切った言葉を勘違いしたらしい商売人は、不思議そうに目を丸くすると首を傾げた。
(下手に偽名つける訳にもいかないし、なんて呼べば!?)
そもそも妾の立場の女性が、相手の男性を何と呼ぶのかなど知識の無い凪は脳内で静かに困惑する。しかし悠長にしている場合ではないと判断し、勢いのままに商売人へ問いかけた。
「う、うちの人見かけませんでしたか?」
もはやその言い方では自分の旦那扱いだが、今の凪にそんな事へ気を回す余裕はない。
彼女の心中など分からない男だったが、その必死さが凪の迷子説を浮上させたらしく、途端に心配そうな面持ちになると申し訳無さそうに眉尻を下げた。
「いえ、お見掛けしてませんね…お可哀そうに、お嬢さん。旦那様とはぐれちまったんですか」
「そうなんです…ちょっと目を離したらその、居なくなっていて」
商売人の男が見掛けていないというのであれば、恐らくこの通りを光秀は通っていないのかもしれない。消沈した様子で肩を落とした凪の姿が酷く痛ましく見えたのだろう、男もますます面持ちを曇らせ、やがて彼女を勇気づけるよう努めて明るい声を出した。
「じゃあもし旦那様をお見掛けしたら、お嬢さんがお探しだって事を伝えておきますよ!」
「え、いいんですか?」
「どの道、店仕舞いまではここで客引きしてるんで。御任せを!」
「助かります!ありがとうございます…!」
とん、と作った拳で自らの胸を叩いてみせた商売人に、凪が笑顔を見せる。果たして光秀がここを通るかは分からないが、男の申し出は素直に嬉しかった。