第7章 摂津 参
そうして部屋を出て後ろ手にそれを締め切った凪は、そのまま一人で宿を出ると町中へ駆けて行く。
───貴方は狐に化かされているよ───
音もない映像の中、清秀の唇がやけに愉しそうに紡いでいたその言葉が、凪の脳裏を幾度も巡っていた。
─────────…
(───…って、勢いで飛び出したけど、そもそも光秀さん何処!?)
まだ日の高い町中は人も多く、何処も賑わいを見せていた。
城下町の全てを把握している訳ではない凪には、光秀が果たして何処で何をしているかなど検討が付く筈もなく、行き交う人の波に紛れながら辺りを必死に見回す。
念の為、鼻先へ意識を集中させてみるも、色んな人々の匂いは勿論の事、例の蔵から発せられる火薬の臭いがどうしても勝ってしまい、当たり前の事だが光秀の薫物など分かる筈もない。
こんな事なら、からかわれるのを覚悟で中途半端ではなく、犬並みの嗅覚を持っていたかった、などとまで考えた凪だったが、ないものねだりというやつである。
(とりあえず、この前八千さんと会談したお座敷にでも行ってみようかな…)
頼れるのは光秀と共に回った場所のみであり、あまり遠くへ行く事はさすがに憚られた凪は、二人で通った座敷茶屋へ向かう方向へと足を踏み出した。
「…おや、先日のお嬢さんじゃないですか!」
ふと明るい声が投げ掛けられ、最初は自分に声を掛けられたと気付かなかった凪だったが、視線を巡らせた先に立っていた愛想の良い笑顔の男を見つけて双眸を瞬かせる。
男の背後に視線を投げると、大きく立派な店構えが映り込み、入り口に下げられた藍染暖簾がぬるい風にふわりと揺れていた。
(この間の噂好きな小間物屋さん…!)
凪へ声を掛けて来たのは、摂津潜入初日に光秀と共に座敷茶屋へ向かっていた途中、二人を案じて噂話を教えてくれていた小間物屋の商売人である。
摂津の中でも数少ない、尚且善良な顔見知りに出会った事へ幾分胸を撫で下ろした凪は人混みを分けて男へと近付いた。
「こんにちは、今日は旦那様とご一緒ではないんですね?お一人で散策ですか?」