第7章 摂津 参
疲れているだろうという配慮もあったのだろうが、恐らくそれだけではない。
夜半に一度目が覚めた時、光秀は暗い室内の中で手元に燭台の灯りを寄せ、延々と書き物をしていたようだった。
しばらく起きていようと思った凪だったが、色々な事が一度に起こった所為で心身ともに思った以上に疲労していたらしく、いつの間にやら眠ってしまっていたのである。
次に目覚めた時にはすっかり日が昇っており、既に支度を整えていた光秀は、これから出掛けるという旨を告げ、凪に留守番を言い渡したのだった。
───八千殿に会って来る。お前は宿の中で大人しくしていろ。決して一人では外に出るな。
念押しのごとく告げられ、頷いた凪の頭を自然とひと撫でした光秀は、黒い羽織の袖を翻しながら一室を後にして行った。
(昨日から九兵衛さんも見かけてないし。朝御飯は宿の人が運んでくれたけど…光秀さん、ちゃんと寝たのかな)
敵地へ潜入してからというもの、三年前に姿を消していたという中川清秀との突然の再会や、八千との会談など様々な事が起きている中で、光秀が身体をいっときでも休めている様子などない。
夜半まで仕事をしていた事といい、さすがに心配になった凪はそっと眉間の皺を深めると、再度溜息を漏らした。
(…とりあえず、この数日で光秀さんがかなり無茶をする人だっていうのはよーく分かった)
果たして彼が帰って来るのがいつなのかは分からないが、戻って来たらせめて茶の一杯でも出そうかと思い至り、おもむろに立ち上がる。
「お茶でも煎れてこようかな」
特にする事も思いつかなかった凪は、思い立った様子で障子を開けたまま足を踏み出した。
ひたりと裸足が畳に触れたと同時、どくりと鼓動が嫌な音を立てて凪の身体を冷やす。
「…っ!」
次第に速まる鼓動が胸の奥で暴れ出し、幾度体感しても慣れないその感覚に息を詰めた後、くずおれるようにして凪は両膝を付いた。
見開いた彼女の黒々とした両の眸がゆっくりと深く暗い青へ塗り替えられて行く。それと同時、目の前へ強制的に流れ込んで来た映像に、凪はそっと唇を噛んだ。