第6章 摂津 弐
「私を警戒して隠しているのかい?君がそこまでするなんて、もしかして本当に…────」
言葉を重ねた男のそれを遮ったのは、ほとんど衝動に近かった。
潜めていた木陰から姿を現し、底の知れない男に対する畏怖で足が竦みそうになるのを必死に堪えながら、凪は光秀を背に彼の目の前へ立ち、男と真正面から向き合う。
両手を庇うように広げたと同時、柔らかな色合いの打ち掛けの袖が反動で揺れた。
「…っ!」
突如目の前へやって来た凪の小さな背に光秀は眼を見開き、息を呑む。自らよりも華奢で儚い背が、必死に自分の【役割】を果たそうとしている姿は彼にとってあまりにも衝撃的で、広げた両手の先、細く白い指先が緊張か、あるいは恐怖かで微かに震えているのを認めると、それが光秀の鼓動を騒がせた。
(────…何故!)
音に出来ない声を上げる。
理由など問わずとも、【芙蓉】という人物を作り上げた自分自身が一番分かっているというのに、光秀はそう発せずにはいられなかった。
(…何故出て来た、馬鹿娘…────)
作り上げた虚像は、凪だけを守る為の布石だった。己の保身など、光秀の中には端から含まれてはいない。
だというのに、今自分はこうして小さな背に守られている。怖さを押し殺して必死に立つ凪の行動を本来ならばたしなめなければならないというのに、彼女が自ら考え、動いたその無鉄砲な強さを、光秀には頭ごなしに責める事など出来る筈もなかった。
「……へえ、驚いたな。まさか自分から出て来るなんて。そんなに光秀殿が大事なのかい?」
突如目の前へ現れた凪を前に、一瞬面食らった様子で動きを止めた男はやがて、愉しそうな笑みを浮かべて問いかける。
心の底を見抜こうと細められた灰色の眸によって真っ直ぐ射抜かれた凪はしかし、怯む様子もなく厳しい面持ちのまま頷いた。
「…そうです。いけませんか」
「そんな事はないさ。健気で可愛いね、姫君。…でも、普通は光秀殿を思えばこそ、私の前に身を曝さないものだと思うけれど…?」
「あなたは、勘違いをしていますから」
薄っすら月明かりが照らすその場所で、凪の姿を見定めるかの如く眺めた男が愛想の良い笑顔を浮かべて首を振る。