第6章 摂津 弐
病的な白さの長い指先が、上品な所作で口元へあてがわれると、心底可笑しそうな笑いを零した。
「あれは愉快だったなあ…村重(むらしげ)様の驚き様は本当に愉快だった。光秀殿にも見せてあげたかったくらいだよ。当時の村重様はそれなりに長く仕えていた私を心底信頼してくれていてね、だからこそ…三年前の戦の終盤…共に信長様へ敵対していた筈の私に刀を向けられた時のあの方の顔は…実に壊し甲斐があった」
「……およそ理解しかねる趣向だ」
引き結んでいた光秀の口から、苦く低い音が発せられる。
しかし男は意に介した様子もなく首を傾げてみせた。左肩に残された一房の髪がその動きと共にさらりと流れる。口元へ浮かんだ笑みは消え去る事がなく、それどころか光秀の言葉を受けていっそう深まったようにも見えた。
「ああ、光秀殿。それで、この摂津の変異については大まか察してくれたかい?種を沢山蒔いたから、忙しい君の手を必要以上に煩わせる事になってしまったかな」
「……さて、三年前に己の主君である荒木村重(あらきむらしげ)殿を討った後、忽然と姿を消した不審な男が亡霊を騙り、何やら怪しげな動きをしている、というところまでは行き着いたのだが」
一度わざと言葉を切った後、羽織の袖口へ腕を差し込む形で腕を組んだ光秀が、胡散臭い笑みを貼り付けた男とその奥に佇む蔵を射抜く。
「その先は、貴殿の背後に構える蔵を改めてから推察するとしよう」
「それは別に構わないけど…生憎と今は鍵を持っていなくて、中は見せてあげられない。無理やりこじ開けられるような扉でもなくてね」
鍵を持っているならば、本当にあっさりと中身を見せていたかのような素振りで言ってのけた男は、至極残念そうに瞼を伏せて勿体ぶった溜息を漏らした。
蔵へ向けていた意識を正面に立つ男へ向け、光秀も涼やかな目元に皮肉を込めた様を過ぎらせると、低く一笑する。
「大層察しの良い貴殿なら、それだけの理由では俺が納得しないと分かっているだろう?」
「随分棘のある言い方だな…会っていない三年の間に、すっかり光秀殿には嫌われてしまったみたいだ」
冷めた声色には無理矢理にでも鍵を開けさせようとする光秀の意思が込められていたが、まったく取り合う様子のない男はさして気にした素振りがないにも関わらず、表情だけは悲しみを貼り付けたように曇らせてみせる。