第6章 摂津 弐
この死角だらけの森の中、しかも闇夜となれば立ち回りは難しいだろう。それが仮に複数であれば、リスクは倍増する。
(せめて自分の身を守りつつ、邪魔にならないところまで逃げなきゃいけない)
しかし、その時脳裏に過ぎった疑問に凪は目を瞬かせた。
昨夜の会談の折、八千と光秀が交わしていた会話を思い起こす。
───…それに、この女は私の為ならば自らの命すら厭いません。
───お手掛けの女人であっても不利とならば、その命を持って盾とするなど…恐ろしい方だ。
【芙蓉】は【裏切り者】の光秀にとってそういう女だ。
都合が良く、いつでも切り捨てられる。信長という主君を容易に裏切る事が出来ると敵方へ証明する為の、非情な人間を装うべく作られた設定だと、凪はずっとそう思っていた、だが。
(……それって、矛盾してる)
「どうした」
凪が胸に去来した違和感へそっと拳を握り締めた直後、光秀の静かな声が彼女の意識を現実へと引き戻す。
気付けば数歩だけ進んだ先で光秀が立ち止まり、自らを振り返っていた。弾かれた様子で顔を上げ、慌てて小走りになった凪が隣に並ぶと、隣から探るような視線が降って落とされる。
「気になる事でもあるのか」
疑問ではなく、ほとんど断定的な問いだった。
淡々とした調子の声色は、日中のように揶揄を孕んでいない。恐らく真剣に自分を気遣ってくれているのだろうというのは、いい加減凪も気付いている。
だからこそ彼女は偽るのではなく、ありのままの感情を告げた。嘘や取り繕いを並べたところで、この男にはあっさりと見抜かれてしまうのだから。
「少し。…でもまだ自分の中でもまとまってないので、もうちょっと考えます」
「…そうか」
いつものように、小さいおつむだ何だと茶化して来る様子はない。
もしかしたら妙に勘の鋭い光秀の事だ、自分の考えている事など見通した上でただ相槌を打ってくれたのかもしれないが、それが今の凪には素直に嬉しかった。
茶化されなかった事が、ではない。自分で考える事を認めてくれたような気がして、ただ嬉しかったのだ。
(自分で出した答えでいいって、言ってくれてるような気がする。違ったら違うってそれはそれではっきり言われそうだけど)