第6章 摂津 弐
「……お前は、少々人を信頼し過ぎるきらいがあるようだ」
肩を緩やかに竦めた男は睫毛を伏せると口元に微かな笑みを乗せた。それが自嘲のようにも見えて、凪はそっと漆黒の双眸を見開く。
「俺を信用するのは勝手だが…いつ魔が差して、お前を闇の中で一人置き去りにするとも限らんぞ?」
振り向きざまに金色の眼が細められ、笑みを含んだ音が木々のざわめきと共に運ばれる。
その笑みは、冷えていたようで何かが違う気がした。
手のひらで拳をぐっと作り、しばしの間歩みを止めた凪は、その間に緩やかな足取りで距離を作る光秀の背に向かい、数歩の間隔を埋めるよう軽く駆け出して彼の黒い羽織の袖をぐいと掴む。
片袖を引かれるがままに光秀が振り返ると、躊躇いなく両手を伸ばして彼の頬へ触れた。
「っ、」
微かに男が息を呑んだ事にすら構わず、ひんやりとした肌に熱の通う細い指先が触れ合い、背伸びした凪と彼女の手によって引き寄せられた光秀の顔が距離を縮める。
「そうやって人を試すのは良くないですよ。昨日、言ったじゃないですか」
その拍子に、二人の真上を月の白んだ輝きが注いだ。
星を降らせたような淡く儚い光の中、闇に溶けてしまいそうな漆黒の眸が強い意志と共に輝き、間近な場所で真っ直ぐに光秀を射抜いて逸らされる事なく唇が音を紡いだ。
「光秀さんを信用します、って」
鼓膜を打った惑いのない音は、昨夜耳にした時と同じく偽りのないものだった。
心の奥底を覗き込まれ、そこに空いた穴を埋めるかのような言葉は、確かに光秀の中へと沁み込んで行く。
心の臓の奥、触れられた事のない、触れさせようとも思った事のない秘めた箇所が鈍い音を立てて仄かな痛みを刻んだ。
遅れてやって来たのは彼女の指先から伝染った熱か、あるいはその痛みの所為の熱であったのか。涼やかな切れ長の目元に、夜闇の中では見逃してしまいそうな程に淡い朱が差すと、近い距離で光秀の顔を覗き込んでいた凪が驚いた様子で目を見開く。
「………呆れた奴だ」
短く呟いたと同時、憮然とした面持ちで身を離した光秀は踵を返すと、そのまま歩き出した。見間違いかと思ってしまいそうな一瞬の出来事であったが、彼の表情は凪の中に確かな衝撃を残す。