第6章 摂津 弐
とんでもない事を世間話のように肯定され、凪はつい湯呑みを傾ける手を止めて、正面に座する男の端正な面持ちを凝視する。
「あの時のお前の行動は見事だった。中途半端な知識の者であれば、おそらく見抜けはしなかっただろう」
「…私の事、試したんですか?」
「いや……預かっているお前の荷の中にも、薬草の書と思わしきものがあったからな。可能性を確かめたまでだ」
「そういうのを試すっていうと思うんですけど。…私が何も言ってなかったら、自分で言うつもりだったんですね」
些か不満げな言葉に対し、無言で吐息を零すよう笑った男のそれは、肯定と同義だ。
単なる自分の趣味であった薬草の知識をこうして認めてもらえる事は純粋に嬉しくもあったが、何となく素直に喜べるような心中でもない。
おそらくこれ以上は問いを重ねても答えてくれないだろうと踏んだ凪は、諦めた様子で再び湯呑みを傾けた。
「……なあ、聞いたか?日銭屋(ひぜにや)の助六が一昨日(おとつい)の晩、有崎城の近くで例の亡霊を見たんだとよ」
(……え?)
不意に座敷の方から聞こえて来たそれに、凪はふと目を瞬かせる。そっと窺うように視線だけを向ければ、二人組の客が特にひそめる様子もなく、まさに凪と光秀が求めていた情報の内の一つを興味本位といった様子で話し合っていた。
男達を確認した後でそっと光秀へ意識を向けると、彼も自然な素振りで視線だけを静かに流し、そうして湯呑みへ緩慢な所作で口をつけている。
「そいつは本当かあ?俺はあんまりその噂に関しちゃ信じてねえんだが。亡霊なんざ馬鹿らしいったらねえ」
「それが本当だっつー話だ。しかもその亡霊、三年前の戦で討ち死にしたっつーあの…────」
がたん!とまるで言葉を遮るように噂話をしていた男達の、更に隣の席に居た二人組が机の上の湯呑みをひっくり返した。
「…っ!?」
鈍くけたたましい音の正体は、どうやら机の下から天板を膝で蹴り上げた為のものらしく、真っ直ぐに置かれていた机が斜めにずれ、半分程入っていた湯呑みが二つ共転がり、中身が零れてしまっている。
突如起こった物々しい気配に店内が一瞬静まり返り、そうして不安と緊張で張り詰めた。
驚いたのは凪とて同様で、咄嗟に顔を座敷へ向けた彼女の視界の端で、光秀が静かに湯呑みを机へ置く。