第6章 摂津 弐
やがて親指の腹で彼女の唇の端を拭うような仕草をして、再び自らの元へ腕を引き戻す。
「な…っ」
「蜜がついていたぞ」
低く囁くようにして短く音を零し、睫毛の影を肌の上へ落とせば光秀は凪の口端を拭った親指の腹を赤い舌先を覗かせ、軽く舐めた。
「舐め…────っ!!!?」
きゃあ、と黄色い声があちこちから上がるその中に、凪の衝撃を受けた声が紛れる。
咄嗟に声を上げそうになった事と口元にみたらしのたれがついていたなどと言われた為、無意識下で黒文字を取り落し、両手で口を覆いながら固まった。
じわじわと侵食していくよう、彼女の白い肌が赤く染まって行く。
「嘘です!大体たれがついてるなら、感覚でさすがに分かりますから…!」
「…おや、では見間違いだったかもしれんな。確かに甘いと思ったんだが」
(もうこの人一体なんなの…!!?)
しれっと言ってのけた光秀のそれが、団子を無理やり食べさせた事に対する反撃だというのは何となく分かっていた。
しかし、想像と容量を遥かに越えまくったそれに、凪の心中はもはや穏やかではいられない。
怒りよりも羞恥の方が強く、早鐘を打つ鼓動に耳まで熱を持った感覚になった凪はいっそ声を上げて文句を並べ立ててやりたい衝動に駆られたが、店内でこれ以上無駄に目立ったり騒ぎを起こして迷惑をかけるわけにもいかず、ぐっと唇を噛んで己を落ち着けた。
「………もう絶対光秀さんには物を食べさせない」
「それは残念だ。だが俺に仕返しをする時は、もっと綿密な策を練る事だな」
とどめとばかりに告げられ、凪の眉根がぐっと顰められる。とはいえ、もうこれ以上無駄な反撃をすると、更に酷いものが待っていると学習した彼女は、次第に落ち着いて来た鼓動に吐息を漏らし、むっすりとした様子で両手を下ろした。
やがて少し冷めた湯呑みを手に取り、それへ口を付けながら気分を変えようと凪は昨日から気にかかっていた事を光秀へ問いかける。
「そういえば…昨日の、えと…あの人に任せて欲しいって言ってた事は、どうするんですか?」
「…ああ、あれは俺が命じて仕掛けたものだ」
よもや直接的に伝える事など出来ないので、八千の件を暈しつつ相手へ質問を投げかければ、光秀は事も無げにさらりと言ってのけた。
「えっ!?」