第6章 摂津 弐
予想していなかった反応に、一度は伏せた筈の瞼を持ち上げる。
視界にはどことなく不服そうな色を滲ませた彼女の表情が映り、恥じらいで逸れていた筈の視線が、今は真っ直ぐに男を射抜いていた。
「一緒に居て、一緒に食べるだけで十分ですよ。もしいつか…味が分かるようになったら、また同じものを食べればいいです」
譲らない様子の凪の眼差しが、不意に悪戯な色を乗せて猫のように眇められる。
「────あとは昨日の桃の、お礼です」
ほんの僅かだけ口元を綻ばせた彼女の言葉に対し、双眸を見開いた光秀は初めて目にした凪の瞳に浮かぶ色に一瞬だけとはいえ目を奪われた。しかしすぐ様切れ長の眼を眇めて緩やかな笑みを刻む。
そうして頬杖をついたまま、空いた反対の手を伸ばせば、凪の華奢な手首を下からすくい上げるようにして掴み、自らの口まで黒文字に刺さった団子を運んだ。
「…っ!?」
まさか自らの手で口へ導いて来るとは思わず、凪が驚いた様子でぴくりと肩を小さく跳ねさせた。
見開かれた黒々とした彼女の眼を見て満足げに口角を微かに持ち上げた光秀は、口内へ入れた団子を何度か咀嚼する。
柔らかさと適度な弾力の他は、やはりいつも通り光秀の味覚に何も変化をもたらすわけではなかったが、それでも良かった。
「柔らかいな。さっきつついたお前の頬と少し似ている」
ゆるゆると光秀へ団子を食べさせた腕を下ろす凪を前に、男は彼女の手首に触れていた方の人差し指で、その箇所を示すよう自らの頬を指す。
「…お、お団子の方が柔らかいですよ!」
それはいっそどちらでも良かったのだが、光秀の仕草が酷く色めいていて上手い返しが思いつかなかった。
元々賑わっていた店内が、男の行動一つでさざめいた事にも気付いている。少し距離を開けて設置された隣の席や、その周辺、座敷に至るまで女性客がこぞって顔を赤らめていた。
仕返しと思い、取った自らの行動がこうも裏目に出るとは思いもよらず、凪は何か反撃しようと必死に頭を巡らせ、唇をぐっと引き結ぶ。
「芙蓉」
「今度はなんですか」
警戒心も露わな反応に肩を竦め、やはりこういう様は毛を逆立てた猫だな、などと内心で零した男がおもむろに頬杖を解いて上体を僅かに乗り出し、片腕を凪へ伸ばした。