第6章 摂津 弐
あの時の言葉はすべて、少なくともおそらくこの摂津に居る間は光秀にとって都合の良い女である【芙蓉】として過ごすように、という予告だったのだ。
昨日のように支度を手伝ってやろうか、という光秀の言葉を断固拒否し、自分で光秀がやってくれたように髪や化粧を整えた彼女は、半ばヤケクソになりながら支度を整えたのであった。
───…ああ、お前に一つ言っておくが。
───なんですか。まだ何か企んでるんですか?
───悪くないと言ったあの言葉は、嘘ではないぞ。
(信じない信じない信じない…!)
明智光秀という人物は信用すると決めたし、本人にも宣言はしたが、言葉のひとつひとつを本気で受け取るとは言っていない。
(昨日の夜も続き部屋の方で結局寝かせてくれなくて、また同じ部屋で寝る事になったし…。領域には侵入してなかったみたいだけど)
少し前のやり取りの回想を終えた凪は、心の内で首を大きく左右に振り、思い起こした光秀の褒め言葉と思わしきそれを否定する。
とにかく言葉、行動のすべてがまったく読めない光秀にはずっと翻弄されてばかりだ。それはどこか落ち着かなくて、そんな経験などない凪にとっては衝撃だった。
ひとまず昨夜から出掛ける前までにかけての一連の出来事はもう突っ込むのも疲れるので忘れる事として、手を繋いだまま歩く隣の男をそっと窺った凪は、日差しを浴びて煌めく銀色の髪が風に揺れる様を見つめた。
昨夜のように羽織に着流し姿の光秀は、人々が行き交う往来でもよく目立つ。長身というのは勿論だが、歩く姿だけでもその端正過ぎる容姿もあいまって、とても絵になるのだ。
四方から無遠慮に向けられるいくつもの視線には、さすがの凪も気付いていて、それが向けられている先にも当然検討がついていた。
町娘達が光秀の姿を目にすると、途端に頬を染め上げて短い悲鳴を上げる。袖口を口元にあてがい、熱い視線を向けてその姿を目で追っていた。
(…と、同時に隣の私に鋭い視線が飛んでくるんだけど、ね)
長身で身ごなしが優雅な美形の隣に、手を繋いだ女の姿があれば当然嫉妬の嵐だろう。
居心地が悪い事この上ない状況に、つい凪の口からぽつりと客観的な感想が零れた。
「…光秀さんって、女の敵ですね」