第5章 摂津 壱
「そもそも、俺にそこまでの料理に対する好みはない。魚も例外ではないが…」
「…ないが?」
光秀の言葉尻を取って箸を膳へ一度置いた凪が軽く首を傾げる。
彼の金色の視線は皿の上の焼き魚へ注がれており、やがて瞼を伏せると心底といった様子で溜息を漏らす。
「魚は食うのが面倒だ」
「よりによってそんな理由…!?」
思わず突っ込んだ凪に対し、意に介さない様子で短く相槌を打った光秀は、やはりそれへは手を付けず、他の色んなものが混ざった茶碗へ手を伸ばした。
「…もう、お皿ちょっと失礼しますね。あ、お箸少しの間だけ貸してください」
「……何をするつもりだ」
小さく溜息を漏らした凪は、自分の膳の上の食器を軽く移動させ、光秀の膳に乗っている手つかずの魚が乗った皿を手に取り、自らの前へ置く。
そうして彼の手にある箸を求めるよう手のひらを差し出し、怪訝な光秀の様子を気にした風もなく、視線で再度箸を渡すよう促した。
黒々とした瞳にじっと強く真っ直ぐに見つめられ、渋々といった様を隠しもせず手渡した光秀からそれを受け取った凪は満足げな様子になり、短く礼を紡ぐ。
「要するに、小骨を取ったりするのが面倒って事でしょ。じゃあほぐせばいいですよね」
一人納得したように言うと、凪は魚の身を丁寧な所作できれいにほぐし始めた。
魚を食べ慣れているのか、箸先で小骨などを取り除いていき、骨と身とを完全により分けた状態にしてから、箸を皿の上に置いてほぐした魚の身がのったそれを両手で差し出す。
「どうぞ、これなら混ぜても大丈夫ですよ。…まあ私もぶっちゃけ魚一匹まるっと混ぜたらどうしようとか思ってたんで、良かったです。塩加減がちょうど良くて美味しいですよ、この鮎」
凪の印象では、完全に光秀の食事は膳のものをすべて混ぜて食すスタイルになっているようで、九兵衛が焼き魚を用意していた時から若干その懸念がくすぶっていたのだ。
揶揄の意図もなく、自然とそんな事をやってのけた凪を前に、つい光秀の反応が遅れた。
目の前へ差し出された皿を前に、光秀の瞳が僅かに見開かれる。
いくらでも口をついて出てくる筈の皮肉や意地の悪い言葉が、喉の奥に張り付いて出て来ない。
「………ああ。そうは言っても、俺には味などわからんが」