第5章 摂津 壱
「…冷めたら折角作ってくれた九兵衛さんに申し訳ないですから、いただきます」
しかし、食に罪はない。
九兵衛が準備してくれていた事も知っていた凪としては、子供じみた理由で料理を冷ましてしまうのも申し訳なく、あくまでも九兵衛に悪いから、という理由を強調して立ち上がった。
「ほう…俺の知らない間に随分と懐いたものだ。餌付けでもされたか?」
「されてません…っ」
揶揄を飛ばす男へ眉根を顰めた後、凪と光秀はそれぞれ向き合う形で膳の前につく。
用意されたものへ視線を落とせば、ちょうど厨を訪れた時に焼いていた川魚が、香ばしい焼き加減で皿に盛り付けられていた。
汁物と山菜のおこわ、香の物と根菜の煮物に加え、隅の方に小皿に盛り付けられていた一口大の桃を見つけて、凪の眼が瞬かれる。
(わ、桃だ…!)
内心で声を上げた凪の表情がぱっと明るくなった。
思えば戦国時代にタイムスリップして以来、口にして来たものは醤油や塩、味噌といった味付けのものばかりで、そこに当然文句はないものの、甘味はしばらくぶりだ。甘党という程でもないが、人並みに甘味を好む凪としては純粋に果物の存在は嬉しい。
笑いこそしないが、彼女の機嫌が桃で良好な方へ向かったらしい事を察して、つい零れそうな笑みを光秀はそっと押し殺した。
(まったく、わかりやすい事だ)
口に出してしまえば、折角直った彼女の機嫌が急降下してしまう為、内心で呟くに留めた光秀は、両手をあわせて行儀よく挨拶を紡いだ凪に次いで、膳の箸に手を伸ばす。
静かだが穏やかな食事のさなか、ふと凪は光秀が焼き魚へまったく手を付けていない事に気付き、不思議そうに正面へ座る相手に顔を向けた。
「光秀さん、お魚嫌いなんですか?」
光秀の何でも混ぜる食べ方については何度か目にしている為、今更突っ込もうとは思わないが、出されたものを手つかずにする事はなかった気がして、つい問いかける。
またはぐらかされるだろうかと考えていた凪の予想に反し、光秀はあっさりと口を開いた。