第5章 摂津 壱
「ちょっと気利かせすぎじゃない?」
凪が指しているのはつまり、褥の位置であった。
そもそも今晩は続き部屋の向こうで眠るつもりであったのだから、同じ部屋に褥が敷かれているのはおかしい。
抱えていた着替えなどを化粧台近くに置き、先程まで身にまとっていた小袖を衣桁へかける。
そうして粗方片付けを済ませ、寝間着が濡れないよう肩に手拭いをかけたまま、凪は片側の褥をぐっと引っ張った。
用意してくれたのであろう宿の人間には悪いのだが、さすがに拳一つ分程度しか空いていない二組の褥は近すぎる。
「……とりあえず襖の方まで寄せとこ」
何を言われるか分からない為、一応同じ室内に敷いたままの事実だけを残しておき、化粧台の前に座った彼女は髪の水気を再度拭き取り、台の上に置かれていたつげ櫛を手に取った。
当然ドライヤーなどという便利なものは存在しない為、髪は自然乾燥となるが、使用している水の所為か特に傷んだ様子がなくて内心安堵する。
髪を梳き終え、特にする事がなくなった凪は室内をぐるりと見回し、そうしてふと思い立ったかのように立ち上がった。
「…お茶でも煎れといた方がいいのかな。ずっと光秀さんが用意してくれてたし」
実を言うと茶を用意してくれていたのはいずれも光秀の部下である九兵衛なのだが、無論凪が知るよしもない。
自分ばかり何度も用意してもらうのはさすがに気が引けたのか、一つ呟きを落とした凪は僅かに躊躇いを見せた後、意を決して室内を後にした。
本殿では人の気配を感じたが、渡り廊下を挟んでしまえば母屋まではそれが届く筈もなく、静寂に満たされている。
勝手に部屋を出るのはどうかとも思ったが、厨くらいならば母屋内であるし許されるだろうと踏み、奥にある厨の木戸を静かに引いた─────その瞬間。
「─────…わっ!?」
ふわりと鼻腔をかすめた食欲を誘うような香りと共に薄暗い厨内に居た黒い影へ思わず肩を跳ねさせ、驚きから短い声を上げた凪を他所に、そこに居た何者かは一瞬身構えた後、怪訝な様子で彼女の名を呼んだ。
「…っ!……凪様?」
「え…?誰、ですか?」