第5章 摂津 壱
そうして一瞬にして静まり返った室内で、光秀は脱力した様を隠しもしない八千を見やり、おもむろに口を開く。
彼の顔色はあくまで八千の身を案じているかのように顰められていた。
「…ところで八千殿、賊に御命を狙われる御心当たりの程は?」
「…さて、てんで分かりませぬ」
「なるほど。それではその旨の調査、私が承りましょう。賊の正体を掴み、黒幕を引きずり出して御覧に入れます」
緩く首を振って見せた八千の姿を前にして、光秀が冷たい笑みを浮かべる。扇子の先を自らの顎へ軽くあてた姿は凪の目には実に慇懃に見えたのだが、どうやら八千は気付いていないらしい。
余程自身の命が狙われた事が堪えたのだろう。
「ああ、それでは貴殿にお任せ致しましょう。信用しておりますぞ、明智殿」
「……ええ、どうぞお任せあれ」
眇めた男の金色の眼が剣呑に光る。
好戦的とも言える様は温度こそなかったが、次に繋がる確信めいたものがあった。
やがて傍らへやった凪の打ち掛けを引き寄せた後で姿勢を改めた光秀は八千を見やり、瞼を伏せる。
「それでは今宵はこれにて失礼致します。私は戻り、八千殿の御命を狙った不届き者を追う手筈を整えましょう」
どの道この店のものに手を付ける気など起きなかった八千は、席を立ち去る様を見せた光秀を引き止める事もせず、同じように姿勢を正した。
黙礼の所作を取る男は不意に凪へ視線を投げ、そこに当初感じた不快な色を眼差しの中に見つけた光秀は、打ち掛けを手にしたまま微かな布擦れの音を立てて立ち上がる。
つられて席を立とうとした凪は、目の前に差し出された光秀の片手を取り、彼の傍へ寄り添った。
やがて、行灯の灯りが揺らめく室内に色濃い影を残し、並んだ二つのそれは静寂と見えない思惑に満たされたその場を後にしたのだった。
─────────…
(…無事終わって良かった…っ)
なんやかんやとあった鼠、もとい八千との会談の後、光秀と凪は真っ直ぐに宿へと戻った。
小間物屋が教えてくれた宿の近道は確かに体感的に戻りが早く、一度部屋へ立ち寄った後、光秀の口利きで用意されていた湯浴みの場へと凪は早々に押し込まれたのだ。