第5章 摂津 壱
断りを入れて入室して来た店主は入口を隠す屏風の傍で畳へじかに両膝をつき、伏すようにして用件を窺った。
「酒と新しい盃を」
「ははっ、かしこまりました。…ところでお坊様、信仰深い奉公人が偶然貴方様をお見掛けしたそうで、是非とも貴方様のような御方へ召し上がって頂きたい特別な茶があると申しております。いかが致しましょう?」
「ほう、私に飲んで欲しい特別な茶か」
店主の言葉に反応を示した八千は、先程までの行き場のない感情を消化するよう思案する様子を見せる。
「さすがは八千殿。貴方様程の高層ともなられると、自然と民衆を惹き付ける力をお持ちのようだ。……そう思うだろう?芙蓉」
心にもない事をつらつら言ってのけた光秀は外面的には、いたく感心したよう装って笑みを浮かべており、次いで隣に座る凪へ視線を流して、些か強めの圧を向けて来た。
「は、はい!八千様の素晴らしさが一目見て伝わったんだと思います…っ」
恐らくは一緒に褒め殺せという意図であろうと察し、光秀に同調するよう凪も必死に話を合わせる。そうしてなんとか引き攣りそうな顔の筋肉を叱咤して口許を綻ばせた。
二人のおべっかにますます気を良くした八千は、笑み崩した顔のままで店主へ向き直り、およそ僧侶だとは思えない尊大さで口を開く。
「よかろう。そのもてなし、受け入れてやる」
「ありがとうございます。それでは今しばらくお待ちくださいませ。先にお持ちいたします」
深々と礼をした後、店主はその場を辞した。
それから少しの間の後、再び盆を手にした店主が室内へやって来て、先程そうしていたように深く一礼したのち、八千の傍へ歩み寄る。
盆の上には正方形の和紙の上に置かれた茶葉と思わしきものが一杯分と、急須に湯呑み、湯の入った持ち運び出来る小さな茶釜が置かれていた。
八千の傍へ正座した男は盆を凪の側へと置き、彼の前で直接入れるつもりなのだろう、急須の蓋を開ける。
「…して、店主。その茶は一体どのような茶なのだ?」
ふと、光秀が店主の手元を見ながら問いかけた。
和紙の上の茶葉を見やった後で、初老の店主は思い起こすよう視線を上へ投げる。
「確か、招福茶と申しておりました。なんでも、万年青(おとも)や蓬(よもぎ)など、心身を清める薬草を数種類混ぜたものらしく、それはそれは美味なのだとか」