第5章 摂津 壱
「件(くだん)の噂は真だと、そのようにおっしゃりたいと?しかし、それは我らとて同じ事。主君を裏切る事が出来るならば、我らを容易に裏切る事も出来ましょう」
「御疑いはごもっとも」
八千はどうやら光秀が本当に手を組むつもりであるのか否かを、この会談で見極める為に訪れたようだった。
男の幾分鋭くなった眼差しを受けても何ら動じた素振りもなく、光秀は絡めたままである凪の手の側面を自身の親指の腹でなぞる。
「であれば八千殿の信頼を勝ち得るべく、ひとつ有益な情報をお伝え致しましょう」
そうして光秀は弄んでいた凪の手を解放すると、袂へ片手を差し入れ、そこから折り畳まれた一枚の文を取り出した。
(…確かあの文って、この着物に着替え終わって部屋へ戻った時、光秀さんが読んでて、しまい込んだやつだ)
宿での何気ないやり取りを思い出した凪は、果たしてそこに何が書かれているのかと内心で首を捻る。
差し出された文を八千が訝しみを隠しもせず、ひそめた表情で受け取り、微かな音を立ててそれを開いた。やがて視線で文字の羅列をなぞった後、衝撃に顔色を変えて目の前の男へ顔を向ける。
「明智殿…!これはまさか…!?」
(…何を見せたの?)
八千が文へ目を通す間、片手で扇子を弄んでいた光秀が静かに好戦的な色を乗せ、眼を冷たく眇めて嗤う。
「…ええ、信長様直々の文です。それは私へ向けた単なる御役目通達の文ではありますが、八千殿には実に益をもたらすものなのでは?」
「まさか…あの男の命を狙う我らに、このようなものを見せるなど…あの魔王と呼ばれる男の側近だけはある」
「御言葉、まことに恐縮です」
八千へ渡した文には何と書かれていたのか、知っているのは二人のみではあるが、何か重要な事が書かれていたのだろう。要するに情報の横流しだ。
文を再び折り畳んだ八千は、興奮からか僅かに震える手でそれを持ち、窺うように光秀を見つめる。その視線の意図を悟ってか、光秀は緩やかに笑ったまま頷いてみせた。
「差し上げましょう。私にはもはや不要のものですので」
「…確かに受け取ったぞ、明智殿。しかしまだ完全には信用を勝ち得たとは思わぬ事だ。我らの壮大な計画の一端を担う、と捉えていただこう」