第5章 摂津 壱
くつりと笑った光秀が、硬い音を立てて扇子を閉ざす。
怜悧(れいり)な眼を一度凪へ流した後、描いた口元の弧をそのままに再び八千を見やった。
「…それに、この女は私の為ならば自らの命すら厭いません。傍へ置くのであれば愛でるに値する見目と、それ程の覚悟を持っている方が良い。…私はこの女のそういうところを気に入っているのです」
(今凄く最低な男の発言を聞いた気がする。てか、命厭わないってハードル高過ぎじゃない!?)
躊躇いもなく告げてみせた光秀のそれについ視線を上げ、端正な横顔を見つめるも彼は意に介した様子がまるでない。
一方光秀のどことなく含みのある言葉に、八千は片方の眉を持ち上げ、興味深そうに目を瞬かせた。
「明智殿のお人柄を測りかねてはおりましたが、なるほど…少々納得致しました。お手掛け(おてかけ)の女人であっても不利とならば、その命を持って盾とするなど…恐ろしい方だ」
(お手掛け…って、もしかして妾とかそういう意味の?)
八千の同情とも嘲りとも取れる視線を一瞬受け、凪は男の言葉をゆっくり噛み砕いて理解すると、ようやく光秀の言っていた隠し女の意味するところに気付き、目を瞬かせた。
つまり、【芙蓉】としての凪は、光秀の妾的な立場であり、光秀に心酔しているあまり彼のする事には口出しせず、いざとなれば自分の身をもって光秀を守り、盾となるような女……という設定である。
(とんでもない設定盛りまくったな、光秀さん…!)
今すぐ文句を言いたいが、会談の場を台無しにする訳にもいかず、不満げな表情が表に出ないよう務めて、腹いせに顔を光秀の羽織へ押し付けたまま、八千から見えないよう軽く男の二の腕をつねった。
凪の他愛ない反抗に気付き、つねられた腕を伸ばして彼女の白い手を持ち上げると、互いの指先を絡めるようにして握り締める。そうして口角を持ち上げながら金色の目を横へ流した。
「可愛い女だ」
(なにこの恥ずかしい反撃…っ)
囁く音は甘く、握られた手をぴくりと跳ねさせた凪を満足気に見た後、光秀は八千へ意識を戻した。
「…しかしながら、これで八千殿にもおわかり頂けた筈です。私が簡単に仕えた主君を裏切れるような男である、と」