第1章 主が消えた夜
「そういえば昨日のへし切長谷部は……」
「ああ、彼遅くまで張り切っちゃってさ、就寝時間は守らなきゃだめだよね」
燭台切が呆れ気味に言い出した内容は、鶯丸の記憶にはまるで存在しない話だった。
ことの始まりは、政府に赴く際、同伴する男士を初期刀にする慣習だ。
お供できないことを悔しく思っている長谷部に、「長谷部には長谷部にしか任せられないことをしてもらっていて、とても助かっている」というようなことを主が言ったらしい。
長谷部はそれに大層感激して(予定調和)、宴会のあとも張り切って仕事をしていた(予定調和)とのことだ。
彼がしそうな話だ、といつもならフッと笑い話として流せるのに、今回ばかりはそうでなかった。
自分の“昨日”の記憶には、欠片もない話だ。
急に、目の前の2人が知らないもののように思えてくる。
さっきからずっと、鶯丸の後ろを這ってついてくる“違和感”が、肩ごしに頭をもたげてくる。
この広間もそうだ。主は花を飾るのが好きで、歌仙の指導により活けられた花を広間で見ない日はなかった。
けれど、まだ新しい広間は殺風景で、歌仙の言う雅さは特にない。
それに、広間に来るまで通り過ぎてきた部屋の数々に、生活感がなかった。
空き室が、多いのだ。鶯丸の記憶では、男士の人数と本丸の部屋の数はほぼ一致していて、空き室は遊び場、もしくは物置と化していたはずだ。
「……ひとつ訊くが、俺は昨晩三日月と碁をしていたか?」
自分の表情は多分変わっていないだろうと思いながら、努めて平静な調子で問う。
それに対して、2人は一瞬固まった。
そののち、薬研は笑みながらやれやれと肩をすくめ、燭台切はぷっと吹き出した。
「昨晩は鶯丸の旦那の歓迎会だっただろ? たぶんそれは夢っていうやつだな」
「三日月さんはまだ厚樫山だろうね」
「……そう、か」
なぜか柔らかいまなざしを向けてくる2人が、嘘をついてからかっているとは思えない。
俺の歓迎会?
三日月はまだ厚樫山?
実際、ちらっと見た太刀部屋はがらんとしていた。夢というなら随分と長い夢だ。年単位のスケールじゃないか。
だったら、碁を打ち、明日を楽しみだと言ったあの彼は、誰だ?
三日月、山にでも帰ったのか? そうでなければ、どこへ行った?