第68章 諦め
し「…どうしました?」
「ううん。先日ね、杏寿郎さんと逢瀬をした時…初めてアイスクリンを食べたの。
その時に飲んだ紅茶も…美味しかったなぁ、って。」
泰葉が先日と言いながら、ひどく昔のことを思い出しているようなのが気になった。
し「楽しかったですか?」
「うん。私たち、初めての逢瀬でね。」
ぽつりぽつりと、逢瀬での出来事を話す泰葉。
少し微笑むものの、やはりどこか寂しそうに感じる。
「…その時、このネックレスをね…」
そう首元を触った時、泰葉はそのネックレスがないことに気づいた。
「あれ⁉︎しのぶさん、私のネックレス知らない?」
し「えっ、いえ。ここに来た時には付けていなかったですけど…」
「…っ、そんな…どこ…?」
慌てた様子で身辺を探す泰葉。
あまりにも動き回るので点滴がガシャンガシャンと音を立てる。
し「泰葉さん!落ち着いて!」
しのぶの声も耳に入らず、手当たり次第探し回った。
でも、やはり見つからない。
「うそ…」
杏寿郎から貰った婚約者である証さえも失くしてしまった。
もう泰葉は何も考えられなくなった。
今の自分には杏寿郎の隣にいる権利などない。
身体も汚されれば、証さえ持っていないのだ。
身も心も清い杏寿郎の側には、同じく清らかな美しい女性でないと見合わない。
泰葉の心は闇が潜んだように暗かった。
そんな泰葉の心とは裏腹に外は明るくなっていく。
その様子があまりにも滑稽で、泰葉は笑いが込み上げる。
「は、はは…」
急に笑い出す泰葉に眉を寄せるしのぶ。
し「泰葉…さん?」
こんな泰葉の姿は見たことがなく、何かに取り憑かれてしまったのかと思うほどだった。