第64章 焦りと余裕
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杏「千、支度はできただろうか。泰葉さんも済んだそうだ。」
千寿郎の部屋の前で杏寿郎が声をかける。
いくら弟でも、自分の婚約者と2人で逢瀬をしてくるとなれば、気分は悪いだろう。
もちろん、宇髄家で泰葉に告げた後、婚約者である杏寿郎にも頭を下げた。
初めは難しい顔をしていたが、「まぁ、楽しんでくるといい!」と言ってくれたのだ。
だが、やはり顔色は気にしてしまうわけで。
『逢瀬』なんて言葉、使わなきゃ良かったと後悔の念も出てくる。
しかし、滅多に得られない機会。
千寿郎も泰葉に楽しんでもらいたい。
千「できました!今向かいます!」
杏「では、伝えてこよう!」
そう言って杏寿郎は泰葉のところへと戻っていく。
千寿郎は姿見で何度も自分の姿を確認し、身支度を整えた。
千「父上!これで大丈夫でしょうか!」
槇「そんなに気を張るな。お前らしくいれば大丈夫だ。」
毎日顔を合わせているというのに、約束をするとこんなに特別になるなんて。
千寿郎の顔はいつになくキラキラと輝いているようだ。
槇(まったく、泰葉さんも罪な人だな。うちの息子達を翻弄するとは…。)
こんな姿を見たら瑠火もそんな風に思うのだろうと、槇寿郎は襖を開けて天を見上げる。
千寿郎も続いて自室を出ると、離れの方から足音がした。
「千寿郎くん、用意は大丈夫?」
そう、にこやかに声をかける泰葉は、想像していたよりもうんと可憐に見える。
化粧を施したその表情は大人っぽくもあり、しかし笑うと可愛さも持ち合わせ、千寿郎の心臓は早くも大きく脈打ち始めた。
こんな女性と自分は隣を歩くのだろうか。
千「・・・・・・。」
思わず固まる千寿郎。
「千寿郎くん?大丈夫?」
千「はっ、泰葉さんが、あまりにも美しかったもので…って、えっとあの…」
ハッとした千寿郎は思わず心の声を口に出し、自分の言葉にアタフタしてしまった。
『ふっ、あはは…!』
それには思わず皆吹き出す。
杏「千、緊張する事はない!」
槇「2人とも、気をつけて。門限はない…と言ってやりたいが。
日暮れには戻りなさい。」
『はい。』