第64章 焦りと余裕
時同じく、千寿郎も自室で準備に励む。
姿見の前であれでもない、これでもないと睨めっこしていた。
千「あぁ、どうしましょう…。全然決まらない。」
思い切って逢瀬がしたいと言ったものの、勿論そんな経験はなく。
訪問着としても数多く持っているわけでもないので、まず服装からも悩んでいた。
真面目な千寿郎は、前日までに2着にまで絞り込んだが、そこからが決まらない。
千「あー…もう、お待たせしているかも…。」
槇「千、入るぞ。」
千寿郎が頭を抱えていると、槇寿郎の声が部屋の外から聞こえた。
千「はっ、はいっ。」
千寿郎の返事の後に、スッと開いた襖。
槇寿郎は徐に入ってきて千寿郎を上から下まで品定めするかのように見た。
槇「もう少し淡い色のものは持っていなかったか。」
千「…淡い…色、ですか。」.
千寿郎は引き出しを開けて淡い色のは…と探し始める。
槇「今日は千寿郎との逢瀬なんだ。泰葉さんのことだ、着物はお前が見繕ったものを着るんだろう。」
千寿郎の贈った着物は撫子色。
桃色よりも少し淡く、大人の女性でも可愛らしい色だ。
千「こ、これなら…いかがでしょう?」
そう出したのは青藤色の着物。
藤色よりは少し青味がかっており、落ち着いた風合いだ。
槇「そうだな。そちらの方が良いだろう。
千寿郎、逢瀬というのは相手のことも考えてやらんといかん。もし、自分の贈った物があるのならば、それを身につけてきてくれたことを想定するんだ。」
千「は、はいっ!」
槇「まぁ、1番は楽しんでくることだ。逢瀬、という名の2人での外出はこれが最初で最後だろう。お前も楽しんでくると良い。」
千「…僕は、本当は逢瀬という事には拘っておりません。
泰葉さんは兄上にとって大切な人です。
ただ、僕も泰葉さんに惹かれたには変わりなく、一度でいいから義弟になる前に1人の女性として泰葉さんと出かけたいな…、そう思ったんです。」
「あっ、これはナイショの話にしていて下さいね!」
思わず零す、千寿郎の本音。
槇寿郎はこんなに堂々と聞かされるとは思っておらず、少々面食らったが、やはりは兄弟か…と眉を下げた。
槇「そうか。」