第60章 君を傷つけない為に ❇︎
杏「ぐっ、ゲホッ…」
思いがけぬ泰葉からの言葉に、杏寿郎はヒュッと息を勢いよく吸い込み、咽せてしまった。
「だ、大丈夫⁉︎」
杏「けほっ、大丈夫だ。まさかの言葉に咽せただけだから。」
「え…だって…」
頬をまた赤くして少し伏目がちになる泰葉。
杏寿郎にとっては可愛らしいことでしかないのだが、そう言うにも理由があるようだ。
「私ね…、今日一日とっても楽しかった。こうして2人だけでたくさんのことができて。」
「でもね、それと同時に不安にもなったの。杏寿郎さんに声をかける人は、綺麗な人ばかり。私なんか釣り合わないんじゃないかって。」
杏「む。それは以前にも言ったが…」
杏寿郎が泰葉の言葉に反論しようとすると、唇に泰葉の人差し指が当てられる。
「そんなことないって言ってくれるのよね?」
「だから…私、それを実感したいの。」
「杏寿郎さんが私だけのものって…知らせて?」
泰葉の目は真っ直ぐに杏寿郎を捕らえて。
杏寿郎は瞬きするのも許されないような気がした。
泰葉の言葉通り、少し不安な色をのぞかせる瞳には儚げな大人の雰囲気を纏わせる。
今の泰葉は杏寿郎より大人であることを思わせた。
歳など関係ないと思っているが、今の彼女は完全に自分よりも年上の女性なのだと。
杏「据え膳食わぬは男の恥…。
そう捉えて良いのだな?」
「…はい。」
そう小さくうなずく泰葉に、杏寿郎は優しく口付けを落とす。
互いの唇の柔らかさを確認し合うように。
俺はここにいると伝えるように。
その際にも杏寿郎は、泰葉の頬を撫でる。
柔く餅のように吸い付く肌に、どうも離れがたくなってしまったのだ。
ちゅっ、と音を立てて唇を離すと、ふふっと泰葉が笑う。
「杏寿郎さんの手。すごく安心する。」
杏「手…?」
「大きくて、暖かくて。優しく、綺麗な手が大好き。」
杏「うむ…綺麗ではないと思うが。」
掌は幾度となくマメができては潰れて硬くなった皮膚。
今も尚、木刀を振り続けているので、きっとこの掌が柔らかさを取り戻すことはないだろう。