第60章 君を傷つけない為に ❇︎
「ここは…」
キョロキョロとあたりを見回す泰葉。
「宿…?」
何とも予想通りの答えが返ってきて、思わず杏寿郎は吹き出しそうになる。
杏「まぁ、ここは整いすぎているからな。宿といっても間違いではないだろう。」
ふむ…。と杏寿郎は考える仕草を見せ、腕に収まった泰葉を見る。
杏「では、何故ただの蕎麦屋なのに二階にこのような場所があると思う?」
答えを聞かず、杏寿郎はゆっくりと泰葉を布団に横たわらせた。
考えているのか、戸惑っているのか…。
それとも本当は分かっているのか。
泰葉は黙ってされるがままに寝かされる。
杏「それに、そんな格好では…いくら俺でも我慢ならんな。」
「え…」と泰葉が小さく声を出したのと同時に、杏寿郎の唇が襟元から露わにされた白い首筋にちゅっと吸い付いた。
「あ……。きょっ、杏寿郎さんっ⁉︎」
反射的に出た甘い声。
それが一瞬にして慌てた声に変わる。
杏「ん?どうした?」
杏寿郎はよいしょと泰葉を組み敷く体勢に整えて、小首を傾げる。
「ど…どうしたじゃなくて…。」
杏「以前、忠告しなかっただろうか。男と2人で蕎麦屋の2階に上がってはいけないと。」
あれは煉獄家と知り合って間も無い頃。
着物を見繕ってもらった日のことだ。
「言われた…けど…。」
杏「蕎麦屋の2階はこうなっている。覚えておくと良い。」
そう言って、杏寿郎は泰葉の頬に手を添えて柔らかく微笑んだ。
「もうっ、何を言っているの!」など、照れ隠しの言葉が来るだろうと思っていると、なかなかその反応が返ってこない。
杏「む?」
杏寿郎が泰葉の顔をよく見ると、頬を赤らめじっと見つめていた。
艶やかな着物に身を包み、その帯は親切にも解きやすくされている。
愛しい女性がそのような格好で、頬を赤らめ潤んだ瞳を向けていれば、杏寿郎の理性さえ必死に保とうとしがみついている状態だ。
そして、次でトドメとなる。
「杏寿郎さん、お願いがあるの。
今日はいつもよりも…うんと優しくしてください。」
スリッと手のひらに頬を寄せる泰葉。
これで杏寿郎の理性は勢いよく飛ばされていった。