第58章 逢瀬
30秒ほどそうしていると、そっと離れていく温もり。
些か寂しくも感じてしまうが、道端でいつまでも抱きしめられているわけにもいかない。
杏寿郎は泰葉の顔をじっと見つめている。
うっとりとした空気が流れ、道行く人はドギマギしながら2人を見ていた。
杏寿郎もその空気に流されて、泰葉との距離を詰め鼻先がくっつきそうになった時。
「…ところで、先程の女性は?」
杏寿郎の動きがぴたりと止まる。
忘れようと思えば思うほど、気になってしまうもの。
気になったことは互いに聞こうと約束したのだ。
杏「…む?」
「む?じゃありませんよ。私がくる前にお話されていた女性。誰です?」
別に怒っているでも、悲しんでいるでもない泰葉の声色に、杏寿郎もなぜそんなことを聞くのか分からなかった。
杏「知らん!」
「はい?」
杏寿郎はうーんと考える仕草をする。
杏「やはり、あの女性は知らん!彼女は俺を好いていると一方的に話してきて、どこかで面識があったかと思い返したが、全く思い当たらない!」
溌剌とした返答に、むしろ泰葉の方がたじろぐ。
杏「だから俺は『なぜ君が俺を好いてくれているのか分からない。ありがたい話だが、俺には愛する人がいるため、応えられない!』そう話したんだ!」
そう言って、杏寿郎は泰葉の頬を撫でる。
「でも、喜んで帰っていきましたよ?」
杏「言いたいことを言って満足したんだろう!」
「そ、そうですか。なら…いいのかな?」
納得したようなしないような…。
でも、はっきりと断りを入れてくれている。
泰葉はこれ以上気にしても仕方ないと、考えるのをやめた。