第69章 私は…
杏「まだ…俺から離れる理由を探さねばならないだろうか…。」
杏寿郎から発せられた声は溌剌さは無く、寂しいような、悲しいような、そんな声だった。
杏「俺は…1人の女性として初めて愛おしいと思ったのも、恋を知ったのも泰葉さんだった。」
「…うん。」
杏「泰葉さんが俺をこうして抱きしめ、寂しいと言って良いと教えてくれたから、何処かに隠して見えないようにしていた感情も、出すことができたんだ。」
「…うん。」
杏「それなのに…君は俺から一番大切な人を取り上げるつもりなのか?
心から愛し、生涯を共にしたいと思える人を…。
俺から引き離すのか?」
杏寿郎の手の力が弱まる。
泰葉はそっと顔を上げ、杏寿郎を見た。
「…杏寿郎さん…、泣いてるの?」
杏「あぁ。泰葉さんが、俺の前からいなくなると言うのなら…、悲しくて、寂しくて…大泣きしてしまいそうだ。」
杏寿郎の目には涙が溜まり始めていた。
大きな瞳の綺麗な緋色と金色の輪が滲む。
杏「君はまだ知らないようだが、俺は執念深くてな…。
心から愛する人を簡単に手放すような奴ではないんだ。
ただ、泰葉さんに他の男の方が愛していると言われれば、流石に身を退くかもしれんが。」
「そんな、他の男性を想うはずがないじゃない…。
私は杏寿郎さんしか見えていないんだもの…。」
泰葉はそっと杏寿郎の頬に手を添え、瞳に溜まる涙を親指で拭った。
杏「…はは。そんなことを言ったら、自惚れてしまうぞ。」
「…私も。杏寿郎さんの優しさに甘えてしまうわ。」