第69章 私は…
「…怒っては…ないのですか?」
泰葉は一番気になっていた事を尋ねる。
嘘をつき、杏寿郎の親切も踏み躙った。
勝手に婚約、恋仲まで解消して…。
叱責の一つや二つ、あっても仕方ないと思っていたのだ。
(どうしてそんなに優しく…寂しい顔をするの?)
怒りの気配など微塵も感じない。
杏「…怒る…。それとは違う感情だな。」
泰葉の質問に、杏寿郎は困ったように眉を下げる。
杏「この2週間…とても寂しかった…。
泰葉さんが心に深い傷を負っていたのは、分かっている。
自分を卑下するだろうとも思っていた。
しかし、ここまで拒絶されるとは思っていなかったんだ。」
杏寿郎は頬の手を離し、泰葉の手を握る。
「それは…」
杏「君が発情した状態になってしまった時、宇髄の奥方…雛鶴殿に言われてはいたんだ。
おそらく、宿での出来事は覚えていないと。
それでも、泰葉さんにしてやれるのは自分しかいない、そう思って君と体を重ねた。」
確かに泰葉の記憶には無く、自分はどういう状態だったのかと、羞恥心で消えてしまいたくなる。
杏「しかし、最後に俺といるとは認識していない筈の泰葉さんが、俺の名を呼んでくれたんだ。
それが、何より嬉しかった。」
ポリポリと頬を掻く杏寿郎は、ほんのりと頬を染め恋が実った男児のような、あどけなさを見せる。
「そう…なの?ごめんなさい…覚えてなくて…。」
杏「一瞬、考えてしまったんだ。俺じゃ無くても良かったのではないか。俺を求めているわけじゃないんだろう、と。
薬でああなってしまったら、そんな場合ではないと忠告されていたのにな。」
「嫌よ!そんな姿杏寿郎さん以外に見られたくない…。」
泰葉が尻すぼみに言うと、杏寿郎の目がキリッと変わる。
杏「それは…今も俺を好いてくれてると言う事か?」
「え、なぜ…そんな今更なことを…?」
杏「なんせ、俺は先程君に振られているからな!!!」
杏寿郎が溌剌と言い放つと、周りにいた人たちが一斉にこちらを向く。
その顔は皆、「嘘だろ⁉︎」と言わんばかりの表情だ。