第110章 黒鉄の魚影
灰原side―
マリオ議員は意識が回復した。直美は無事新たなパシフィック・=ブイへ向かった。私の周りは普通に戻りつつある。
組織に拉致されたあの日、本気で死を覚悟した。今までだって何度もそういう場面に直面する事はあったけれど、それとは比べ物にならないくらいの恐怖。江戸川君のおかげで今すぐ狙われる事はないみたいだけど、それでも不安はある。
「哀君、荷物が届いたぞ」
ぼーっとしていると不意に博士に声をかけられた。
「何かしら……」
「哀君の頼んだ物ではないのかの?」
「……ええ、覚えは無いけど」
「じゃあ開けねぇ方がいいんじゃねぇのか?」
江戸川君がそう言った。それでも宛先は私の名前。差出人の名前はない。が、その箱からは覚えのある香りがする。その香りをまとう人物は1人しか思い当たらない。意を決して箱に手をかける。
「おい」
「大丈夫。きっと彼女からのものだから」
「彼女って……」
首を傾げる江戸川君を横目に箱を開けた。
「……うそ」
中にはフサエブランドのロゴの入った箱が。そして1枚のメッセージカード。
【あの時は怖がらせてごめんなさい。受け取ってくれると嬉しいわ】
「……亜夜姉」
涙がこぼれそうになって唇を噛んだ。
あの時、亜夜姉を初めて怖いと思った。触れられた時の手の感触、瞳の冷たさ、今まで向けられた事の無い感情……演技であると察しはしたが、彼女も間違いなく組織の人間なのだと、そう思い知らされた。
仕掛けていた盗聴器から得た情報でどうにか潜水艦から逃げ出す事はできた。
―どうか無事で。
その声にどれだけ安心した事か。彼女が私の知っている人である事に。
私達が逃げ切るまでにも何かしてくれていたはずだ。もし、それがバレていたら……下手したら亜夜姉の方が危険だったはずなのに。
絶対に彼女に会わないと。助けてくれた事にお礼を言って、危険な事をさせてしまった事を謝罪して。
心の中で決心をして箱を開けた。中にはポーチとブローチが。最近出た新作のデザインだ。ブローチはあの老婦人に譲ったものとは違い限定品ではないけれど、値段的に諦めていたもの。
「……あの人からか?」
「ええ……お礼言わなきゃ」
「……そうか」
本当に彼女は……そう思いながら2つをそっと抱きしめた。次はいつ会えるだろうか。