第101章 隣に立つのは
その姿を見た時、思わず名前を呼んでしまった。慌てて辺りを見回したが人の波は信号が変わった事で流れていく。
『えっと……家、来る?』
パンクしそうな頭で絞り出せたのはそんな誘いで。小さく頷いたのを確認して帰路についた。
時々ちらりと後ろを振り返りながら家へ向かう。数歩後ろを着いてくる足音に緊張しっぱなしだ。油断したらたぶん転ぶし心臓出てきそう。光希に話しかける事でどうにか気を紛らわせて、気づけばもう家の前に。もう一度ジンを見ると怪訝そうな表情をしている。無理もない。私達が今住んでいるのは、アイリッシュが譲ってくれた部屋だから。
『……入って』
玄関のドアを開けて中へ促す。
「ママぁ、ねむぃ……」
光希のぼんやり間延びした声。やっぱり。先程からうっつらうっつらしてたし。
『そっか。じゃあ、ちょっとお昼寝する?』
「ん……」
『えっと……寝かしつけてくるから座って待っててくれる?』
ジンがソファに座るのを見てから光希を布団に寝かせる。薄手の毛布をかけて腹をとんとんと優しく叩く。しばらくすると寝息が規則的になってきた。頭を撫でて立ち上がり、ジンを見る。
『……何か飲む?インスタントのコーヒーか、あとは麦茶くらいしかないんたけど』
「……任せる」
『そっか……じゃあちょっと待ってて』
そう言ってキッチンに逃げ込む。動揺しているのが丸分かりだろう。少しでも気持ちを落ち着かせたくてお湯を沸かす必要のあるコーヒーを用意する。いつもだったら少し長く感じる時間も、今は一瞬。もうできてしまった。
『ふぅ……よし、大丈夫』
自分の頬を軽く叩き気合いを入れる。2つのカップを持ってソファに戻った。ソファの前のローテーブルにカップを置いて私も座る。流石に真横に座る気にはならなくて、スペースを空けて。
沈黙が重い。会いたかったし、話したい事もあるのに、何から話せばいいかわからない。ただ自分の目の前のカップをジッと見続ける。
「あいつは」
『へっ……?』
「あの子供は」
急に話しかけられて変な声が出た。どうやら光希の事を聞かれているらしい。
『あ……名前、光希っていうの。1歳と6ヶ月』
「……そうか」
『あの時にはもうお腹にいたの。信じられないかもしれないけど……父親は、ジンだよ』