第84章 もうひとつのレシピ
「……きっとここに来るかしらね」
『じゃあ……私行くから』
「あら、会っていかないの?」
『今は会いたくない……』
深呼吸をし、手や足に力が入るのを確認して零れ続けていた涙を拭い去る。
『……話してくれてありがと』
「そういう律儀なところはずっと変わらないわね」
『……それじゃ』
ドアを開いて少し顔を覗かせ、誰もいないことを確認して部屋から出た。エレベーターで下まで降りて、そこから降りる時も人の動きを確認する。
『っ……』
ホテルの入口にジンの姿が見えた。柱の影に身を隠して、ジンの姿が見えなくなるまで気配を殺す。エレベーターに乗り込んで行ったのを見送って足早に外へ出た。
そうは言っても……行く宛はない。でも、帰ることもできない。お金はあるけどどこかへ泊まるのも……とぼんやり考えているうちにたどり着いたのは住宅街にある公園だった。
ベンチに座って空を見上げる。数日後には公安に侵入しなければならないし、それまでにこの気持ちを整理しておかないと。いつもみたいにバーボンに頼ることも考えたけど、しばらく連絡は取れないと言っていたし期待しない方が良さそうだ。
空を眺めていると、また涙が浮かんできて……同時にこちらへ向かってくる足音が聞こえた。
「……こんな時間に女性が1人で出歩くのは感心しませんね」
『……』
そこには沖矢昴がいた。
「何かあったんですか?」
『別に……貴方には関係ないでしょう?』
「知り合いの女性が泣いているのを見て、放置できるような人間ではありませんから。家まで送りますよ」
『……いいです。今日は帰りたくないので』
「ほぉ……それなら、晩酌に付き合ってもらえませんか?」
そう言って手に持っていた袋から取り出したのは、バーボンのラベルの貼ってある瓶だった。
『バーボンはあまり……』
「では、ライはどうです?以前、知り合った女性が好きだと言っていたので買ったんですけど、その後会うことはなかったので……ずっと開けないまま放置しているんです」
そういえばそんなこともあった。二度と会わないなんて言ったのに妙な縁がつかながってしまったようだ。まあ、あの時はほぼ素顔だったし、今の私と同一人物だとは思っていないだろう。
『……少しなら』
「わかりました。では、行きましょうか」