第56章 赤の気配
「それでは今日はこれで……」
そう言って立ち上がったクライアントを見送ろうと立ち上がった。
『送ります』
「いえいえ、それには及びませんよ」
『では、出口まで』
ジンに睨まれたがそれをかわして歩き出す。出口に向かう途中ですれ違ったウェイターが扉を開けてくれた。
歌声が響くホールを出ると途端に静けさに包まれる。私とクライアントの足音だけが響く廊下は時間のせいもあってか妙に薄暗く感じた。
「それではまた。今後ともよろしくお願いします」
『ええ』
嬉しそうに笑うクライアント。今後なんて二度と来ないけど、なんて心の中で思いながら笑顔で送り出した。
『さて、と……』
戻るか。そろそろちょっかいかけられてる頃だろうから。
ホールの扉を開けると、また歌声に包まれる。元のテーブルに向かうと案の定。
「……久しぶりにマティーニてもつくらない?」
そんな言葉が聞こえて肩をすくめた。からかってるだけだと思いたいけど、以前はそういう関係だったらしいし……。
『せめて私がいないところで口説いてくれない……ベルモット?』
「あら、いたのねマティーニ」
ベルモットは面白くてたまらないといった表情で振り返った。
『白々しいわ。さっき扉を開けてくれたの貴女でしょう?』
「さあ……」
『さっきのウェイター、香水の匂いがしたわ。今の貴女と同じ匂いが』
テーブルの上はなかなかの有様だった。タバコが突っ込まれたカクテルグラスにビリビリに破けた変装マスク。しかもそれにはアイスピックが突き刺さっている。
「さっきのヤツは」
『ん?クライアント?嬉しそうに帰っていったわ。今後ともよろしく、ですって』
ジンは鼻で笑って立ち上がった。それに続いてウォッカも。
きっとここにいる誰もが、私達が立ち去ったことには気づかないだろう。
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「FBIがこの町にですかい?」
『そうらしいわ。ベルモットが見たって言うんだから間違いないでしょ?』
先日、どういうわけかバスジャックに巻き込まれたベルモット。そこでFBIのヤツらを見かけたらしい。しかも、2人。でも、たった2人なわけがない。既にこの国には何人も入国しているはずだ。
「で、見かけた2人ってのは……」
『1人は女。もう1人は貴方も知ってる男よ』
隠し撮りされた写真。そこに写っているのはライ……赤井秀一だった。