第16章 Hecate's tears(ヘカテーの涙)
一瞬の出来事で、そのまま目を開けると先ほどと変わらない風景。何事だったのか…と手を上にかざしたその時。
「…うそ」
自分の手が消えかけていた。
慌てて立ち上がり、自分の身体の異変に気付く。体の一部が透けかけているのだ。今にも、自分がこの世界から消えてしまいそうでユウは強く自身の身体を搔き抱いた。死の恐怖を感じ、頭はパニック状態だ。
「なにこれっ…!身体が、透けて……っ。
だれか…! ゴーストのおじさま! …グリム!」
ユウの悲鳴は夜の闇に飲み込まれる。
答えるのはガサガサと揺れる不気味な風音と、化け物のような木の森。転がるようにオンボロ寮に向かって走るが、突然叫ぶユウを面白がってか、闇の眷属の妖精達が髪を引っ張ってきた。
「やめて! はなして!」
両手で宙を藻搔くように振り払うが、今度は草木が蛇のように足元に絡みつく。恐怖が燃え上がるように、私の喉が火を噴いた。真っ暗闇な森の中、どこもかしこも恐ろしい目が光っている。ユウは自分がどこに向かっているかも考えられぬまま、無我夢中で夜の闇を走った。
◆
べちょんッ
縺れた足はついに泥水に倒れた。
唯一の一張羅だったガウンは、ユウ共々ドブネズミになってしまった。(もしくはボロ雑巾)
「…痛っ」
痛みで少し冷静さが戻る。恐る恐る自分の手を見ると、肌色の腕が確かにそこにあった。ぐーぱーと繰り返し動かすが、変わりはない。
…消えてしまうかと思った。当然、この世界から。
ワンダーランドに来た時だってそうだったのだから、帰る時同じなのも不思議ではない。元の世界に戻るだけ。
だがあの瞬間、感じたのは紛れもない恐怖だった。
「サイアク…。帰ったら洗濯しないと。
てか、ここ…、どこ…?」
泥水から立ち上げり、衣服の水を絞る。
服もメンタルもボロボロだ。だが学園長から日頃言いつけられる無茶難題のせいで、花のような乙女も悲しきかな、泥水に慣れてしまった。
オンボロ寮周囲の森だとは思うが、随分と深い所まで来てしまったようだ。周囲は暗く、月の明かりを頼りに戻らなければならない。痛む足を引きずりながら進もうとすると、視界に蛍のような緑色の光が目に入った。