第6章 足音
桜の開花が待たれる頃
菖蒲の師匠である華雅静代の稽古場に
とある人物が訪れていた。
「静代殿。今回は貴殿の弟子である霧滝菖蒲の事で相談があり参った。」
「鶴乃丞様。家元である貴方様直々にお越しいただき光栄でございます。あの....」
「単刀直入に言おう。」
「はい..」
華雅鶴乃丞は、華雅流の家元となり鶴乃丞の名を襲名したばかりの齢32の男である。
氷のように冷たいと言われるこの男もまた、神童と言わしめた過去があり、養父である伯父が死去したことで45代目として頂点に立っている。
冷ややかで表情に乏しいこの男は冷静に話しているだけでも圧が感じられる。
整髪料で後ろに流された艶やかな黒髪も、隙のなさを強調するかのようだ。
静代はそんな鶴乃丞に慣れはしていても、要件に心当たりのない突然の訪問に変な汗が止まらずにいた。
「菖蒲を、我が正室に迎え入れたい」
「い....今、なんと....」
「菖蒲を正室として迎え入れる。あの娘から我が血筋が欲しいと思ってのことだ。」
家元は流派にとって長である。
よって家元に逆らうことはあってはならぬことだ。
しかし、
「恐れながら、家元....、菖蒲はまだ己の中にある舞が成熟しておりません。」
「申し分ない。容姿や舞が優れ、神童と言わしめる者はあの者しかおるまい。」
「ですが...家元に嫁ぐのはまだ早いかと....!」
静代は、菖蒲の舞が心のままに表現され、成熟していないことを知っている。
つまりは感情に左右されない確固たる芸の域には達していないと思っているのだ。
家元に嫁ぐ実力は右に出る者はいないと分かっているほどでも、まだ不安定な菖蒲はもっと伸びると思っており、鶴乃丞が娶ってしまえば、今菖蒲が舞う舞踊は簡単にへし折れてしまうだろう。
そう考えて意見したのである。
切長に魅せる冷たい瞳は鋭い刃のように静代に刺さる。
界隈きっての美男優であるこの男の整った顔はそれだけで周囲を黙らせてしまう鋭利な刃物だ。
「良い。あの娘から生まれた後継が欲しいのだ。」
「貴方も先々代と同じことを仰るのですね.....」
静代は、低頭のまま鶴乃丞に強い眼差しを向けた。