第5章 花酔ひ
暫く湯につかれば、菖蒲の事ばかりが思い浮かんでくる。
いつもは長くしているその時間を、彼女に会いたいがために無意識で早くなる。
唇に思い出される彼女の感覚をなぞれば愛おしさがこみ上げて、それだけでも体が熱を持ってしまう。
着流しを羽織り、帯を締めれば逸る気持ちが己を突き動かして、菖蒲が待つ部屋へと向かった。
二人が楽しそうに話す声や笑う声が廊下にまで聞こえてくる。
その音で、まだこの場所に彼女がいることに心が満たされていくのを感じた。
たったこれだけのことなのに、菖蒲が相手だとここまで変わってしまう。
全てが同じものに見えていた景色が全て生きているように思えて美しい。
「二人とも、まだいるようだね?」
「あ、申し訳ございません。」
「いや、いいのだよ。二人とも楽しそうで何よりだ。」
「あ、ありがとうございます。」
松乃が慌てて襖を開けると、その奥で笑みを浮かべてこちらに目を向けている菖蒲に目じりが下がる。
「すごく楽しそうだったじゃないか。何を話していたんだい?」
「えぇ。はじめはここの食材の話をしていたのですが、こちらに住まう信者の方のお話になりまして...。勿論童磨様のこともお話ししていましたよ。
霧滝様もまだまだご存じでないことが多いでしょうし。」
「それは嬉しい。先ほどより菖蒲が俺に見せてくれる表情が暖かいのも、松乃のお手柄と言えそうだね?」
「それは恐れ多いお言葉にございます。」
「よいよい。俺は嬉しいよ。」
急に畏まって頭を下げる松乃に、童磨は可笑しそうに笑った。その姿に心を撫でおろした松乃は、菖蒲と目を合わせて微笑み合った。
そして、満ち足りた表情のまま、童磨に向き直り頭を下げる。
「童磨様、私はこれにて失礼いたします。」
「うん。ゆっくり休むんだよ。」
「はい。お心遣いありがとうございます。」
襖が閉まる音を確認すると、童磨はしずかに菖蒲の前に進む。
そのまま抱き寄せて大人しくなった。
「どうされたのです?」
「君がここにいてくれることが嬉しいだけさ。」
正直すぎる答えに頬を赤らめるも、菖蒲は一回りも大きい男の背をゆっくりと撫でた。
「ねぇ、また空を見に行こう」
菖蒲は目を閉じて、その誘いに頷いた。